それぞれの学問にそれぞれ固有の対象領域があります。法律を扱う学問が法学であり、経済現象を対象とするのが経済学です。41. もちろん、その領域をさらに細分化し、専門化していくこともできます。きわめて簡単に言ってしまえば、学問とは、一定の対象に関する普遍的な記述を与えることだと言ってもいいでしょう。42.普遍的な記述が与えられることによって、われわれはその対象を操作し、支配することができるわけで、そうした実践性だけが学問の動機のすべてではありませんが、しかしそれを通じて学問は社会へと開かれているわけです。
ここで大事なキー・ワードは「普遍性」ということです。つまり、43.学問がある対象の記述を目指すにしても、その記述は、けっして記述する人の主観に左右されるものではなく、原理的には「誰にとってもそうである」ような仕方で記述されているのでなければなりません。44.「わたしはこう思う」というだけでは、まったく不充分なのであって、「わたしにとってそうであるだけでなく、あなたにとっても、誰にとってもそうであるとわたしは思う」のでなければならない。しかもなぜそのように言うことができるのかを、論理的に
ということは、原理的には誰にも分かるような仕方で説明し、論証することができるのでなければなりません。
そのことを、専門的な言い方では「反証可能性」と言います。すなわち、どのような知の言説も、同じ知の共同体に属する他の研究者が、同じ手続を踏んでその記述や主張を、再検討し、場合によっては、反論し、反駁し、更新するという可能性に対して開かれていなければならないということです。
45.このことは、理科系でも文化系でも同じことですが、大学で学ぶべきもっとも重要なことは、まさに自分の思考に反証可能な表現を与えること、そうしてそれを普遍性のほうへと開いていくことなのです。それは、自我の立場に立って考えるのではなく、普遍性の立場に立って考えるということです。しかし、それは、言うは易く、行うは難しです。どこかに端的に普遍的な立場などというものが存在しているわけではないからです。普遍性は、あらかじめ存在するものではなく、それに到達し、それを獲得することをわれわれが目指すべき地平のようなものです。その普遍性の方に向かって自分の認識や表現を開くこと
それが、大学という場に課せられた使命であり、約束なのです。
当然,可以将这个范围不断细分,独立化。用最简单的话来说,所谓学术,可以说是给某研究对象赋予通用性的论述。
我们通过赋予通用性的论述,才能操作、支配这个对象,虽然学术的动机并不仅限于这种实践性,但借此,学术才会被传入到社会。
即便我们需要某对象相关的学术性论述,但这种论述绝不能被记叙人主观想法所左右,而必须是在原理上“无论站在谁的角度上,都是这样”。
如果仅是“我个人的想法”,这完全是不充分的,必须得是“对我,对你,对任何人都一样的想法”。
这无论对理科还是对文科都是通用的,在大学中应该学习的最重要的东西,就正是要学会给自己的思考赋予“可反证”的论述,这样才能将其推往普遍。