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「地球は汚れているといわれるが、万一地球に住めなくなったら、どこかほかの天体へ移住すればよいだろう」という人がある。また、「汚れのない宇宙空間で生活し、ときどき宇宙船で地球へ働きに来ればよい」との夢を語る人もある。
宇宙科学が発達し、人工衛星も改良されつつあるので、そんな宇宙時代が間近に迫っているという楽観説を流す人もいる。しかし、それはあまりにも無責任である。現在のところ、われわれが生物の存在を確認している天体は、この地球だけである。確かに宇宙は広くて全宇宙には約1000億個の星が地球と似た環境を持つといわれ、そこに生物が存在する可能性は否定できない。
しかし、それらは、現在の人間の能力をもってしてはとうてい到達できない宇宙の遥か彼方にある星である。また、人間の寿命が限られていること、人間を移動させるときに人体が耐えられる速度にも限りがあることなど考え合せると、未来に人間の住める可能性のある星が( ア )、そこへ行くだけで、何代もの人間が必要ということになってしまうに違いない。
この地球が人間をはじめ多くの生物にとってかけがえのない星であることは、いくつかの条件を考えれば、納得ができるであろう。どうして太陽系のなかで、地球にだけ生物の存在が許されるのだろうか。それにはいくつかの理由がある。
第1は、太陽からの距離が適当なことである。つまり、適当な太陽光を受けるので、水がすべて蒸発して水蒸気となったり、あるいは冷えすぎて氷になったりするのではなく、液体の状態で存在できる。このことが可能な太陽系の天体は、金星、地球、火星の3つしかなく、しかも地球はそれらのなかで中心に位置している。また、地球の太陽からの距離は植物が光合成を行うのにちょうどよい量の太陽エネルギーを得る距離である。
第2は、地球の大きさである。その大きさに基づく重力の強さによって、酸素や窒素などの大気を地球の周りにつなぎとめておくことができる。もし、地球が月のように小さかったとしたら、重力が弱くて大気を周りにとどめておくことは難しいと考えられる。
第3は、地球が自転していることである。自転によって、表面の一方だけが太陽光を受けるのではなく、地球全面に満遍なく(均匀)太陽光が注がれることになった。
こうしたいわば天文学上の理由も、地球が生物にとってかけがえのない(无法替代的)星であることを示している。
文中の「それ」とは何を指すか。
文中に「無責任である」とあるが、なぜ無責任というのか。
文中の( ア )に入れるものはどれか。
文中に「天文学上の理由も、…示している」とあるが、天文学上の理由として該当しないものはどれか。
筆者がこの文章でもっとも言いたいことは何か。