ちょっと古い話になるけれど、このあいだ東京にけっこうたくさん雪が降って、(1)街が真っ白になってしまった。いつもジョギングするコースが雪が積もって走れないので、プールに泳ぎに行こうと思って、昼前(2)車に乗って家を出た。しかしどういうわけかこの日、僕は(3)三回も間違えて右側車線に入ってしまった。幸い道路は車がほとんどなかったし、そのたびにはっと思ってすぐに左に戻ったから無事だったけれど、ずいぶん冷や汗をかいた。
僕は長いあいだ日本を離れて暮らしていて、そのあいだずっと車は右側通行だった。だからアタマはすっかり右側通行に慣れてしまっている。日本に戻てきたのが去年の夏で、そのときはこっちも緊張しているし、(4)を握るたびに「いいか、左だぞ、左だぞ」といつも自分に言い聞かせ、交差点を曲がるたびにまじめに確認していたので、ほとんど間違うことはなかった。そしてものの1か月くらいで、体はすっかり左側通行に馴染んでしまい、もう(5)「左だぞ、左だぞ」と自分に言い聞かせる必要もなくなった。(6)すっと道路の左側に入るようになった。人間の同化適応能力というのはなかなかたいしたものなんだな、と自分でも感心したくらいだ。
ところがそれからおよそ半年後のある日、もうとっくに失われて葬られていたはずの右側通行習慣が、何の前触れもなく、突然僕の意識を支配してしまったのである。まるで新月の夜に、死者がずるずると墓から這い出してくるみたいに。どうしてこんなことが起こったのか、僕(7)その理由がぜんぜん理解できなかった。でも泳ぎながら「ああでもない、こうでもない」と考えているうちに、はっとあることに(8)。そうだ、雪のせいなんだ、と僕は思わず膝を打った――もちろん水中で膝は打てないですが。
つまり、僕は雪がしょっちゅう積もっているボストン(波士顿)で何度か冬を送っていたので、通りの両側に雪が積もっている光景を目にすると、ボストンの街を走っているときの(9)がありありとよみがえってきて、それで何も考えずに右側車線に車を乗り入れてしまったのである。それは光景の記憶(10)もたらされた、条件反射的な無意識の行動であったのだ。なーるほどね。なんだかヒッチコック(希区柯克)の『白い恐怖』みたいな話だ。
でも僕は思うのだけれど、もし僕がこの日に間違えて反対車線に入ったときに、運悪く事故を起こして突然死んだりしていたら、みんな(11)その本当の原因が理解できなかっただろう。
(1)~(11)に入れるのにもっとも適切なものはどれか。
文中の「はっと」の解釈に当たるものはどれか。
文中の「日本を離れて」の「を」と同じ使い方のものはどれか。
文中の「自分でも感心した」の「でも」と同じ使い方のものはどれか。
文中の「葬られていた」の「(ら)れる」と同じ使い方のものはどれか。
文中の「泳ぎながら」の「ながら」と同じ使い方のものはどれか。
文中の「目にする」の意味に近いものはどれか。
文中の「死んだりしていたら」の「たら」と同じ使い方のものはどれか。
文中の「適応」の読み方はどれか。
文中の「膝」の読み方はどれか。