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若い人たちは日 記を書かなく なったと 言われている。 確かに日 記帳を買ってまで書く と いう 人たちは尐なくなっただろう 。 だが、 今は自 分のホームページを開設できるので、 多く の日 記や自 己表現がネット上には溢れている。
日 記は自 分の世界に浸る自 己愛の世界と いう 面が強い。 自分のこと を語り たいと いう 欲求は、 今の若い人たちにも根強く ある。 それは今も昔も変わらないだろう 。 ただし今は、 かつてのよう に日 記に書く のではなく 、携帯電話で親しい友だちと メ ールをやり と り すると いう スタイ ルで、 その欲求を満たしている。
本来、 日 記と いう スタイ ルは、「自分のこと を話したいパワー」 を活用して、 う まく 「書く 力」 に転化する方法である。 しかし今は、 紙の上に書く のではなく 、 携帯電話のメ ールを使って、 誰かに読んでもらう と いうスタイ ルになっている。 自 分のために内面を見つめるのではなく 、 自 分の感情のはけ口(注 1) と してメ ールを交換するよう になっている。
日 記の場合、 自 分で書いて、 読むのも自 分である。 携帯メ ールの場合は、 自 分の書きたいこと を書いても、読み手がいる。 その分、 開かれていると も言えるが、 その関係性は、 お互いに自分の話をしても拒絶されないと いう 関係の上に成り 立っている。 今の若い人たちの多く が、 そう いう 関係を求めている。
日 記は自 分の思いを中心に書いているので、 どう どう 巡り (注 2) をしやすいが、 それでも自 分を深く 掘り 下げていける側面がある。 それに対して、 メ ールは親しい相手に日 々の悩みを気軽に聞いてもらう よう な軽い感覚である。
また、 最近ではイ ンターネットのホームページで自 分の身辺雑記を掲載する人たちも多い。 この場合には不特定多数に読んでもらう のだが、 これは逆に「読んでもらう 」 こと を意識しすぎたものになる。
今の若い人たちに、 書く と いう 欲求がなく なったわけではない。( ア )、 書きたい欲求は高まっていると言える。 自分のこと を話したい、 だれかに聞いてもらいたい、 読んでもらいたいと いう 欲求。 そのパワーを有効活用して「書く 力」 を育てること は可能だ。 ただし、 そのためには、 携帯メ ールやホームページではなく 、「日 記丨 を活用してほしい。 何かを「書く 」 ためには、 書く べきものが自分のう ちになければならないが、 日記を書く こと は、 自分を見つめ、 自分の内面を作っていく ための行為になる。
(斎藤孝「原稿用紙に 10 枚を書く 力」 より )
(注 1) はけ口: 排水口。 たまっている感情などを発散させる対象。
(注 2) どう どう 巡り : 思考• 議論などが同じこと の繰り 返しで、 先へ進まないこと 。
「その欲求」 と あるが、 それはどんな欲求か。
「その欲求」 指本段第 2 句话提到的「自 分のこと を語り たいと いう 欲求」, 故选 B。
文中の( ア ) に入れる言葉は次のどれか。
此处前文提到现在年轻人的书写欲求并没有消失, 后文提到可以说其想要写些什么的欲求在增强。 故选 A,「それどころか」 意为“岂止如此, 岂止那样”。
「そのためには」 と あるが、「その」 は何を指しているか。
「その」 指代前一句话提到的「『書く 力』 を育てること 」, 故选 C。
「携帯メ ールやホームページではなく 、『日 記』 を活用してほしい。 」 と あるが、 メ ールやホームページがもっている共通の特徴で、 日 記と 異なる点は何か。
倒数第三段第 2 句话提到「メ ールは親しい相手に日 々の悩みを気軽に聞いてもらう よう な軽い感覚である」。 倒数第二段第 2 句话提到「この場合には不特定多数に読んでもらう のだが、 これは逆に『読んでもらう 』 こと を意識しすぎたものになる」。 故选 B, 短信和个人主页与日记不同的共通特点是「日 記と異なり 、 人に読んでもらう こと を意識している点」。
筆者は「書く 力」 を育てるために、 一番大切なこと は何だと 考えているか。
文章最后 1 句话提到「何かを『書く 』 ためには、 書く べきものが自分の内になければならない」。 故选C, 作者认为为了培养写作能力最重要的是「自分の内面を見つめ、 自 分の内面を作っていく こと 」。