文学はつねに新しさを持っていなければならない。多少とも実社会の経験を経てきた 人が、文学に心をひかれるのは、そこに、かたくなになった彼らの心のカラを打ちひら いて、新しい人生を発見させ、あるいは①新たに人生を再発見させるところのものがあるからである。すでに人生を生きるということが、不断に新しい情況に対処して、新しい経験を形成してゆくことである以上、生活欲のある人間が新しさにインタレスト (注1) を感じるのは、_然な健康な欲求であって、文学はこれに満足を与えねばならない。
文学における新しさという意味にもいろいろあろうが、それは、まず題材の新しさと 解してもよい。「天が下に新しきことなし」などという言葉は、停滞した中世社会や封建 社会では通用しても、②近代ではナンセンスであろう。新奇な現象は次々と現れている のだが、人々は限られた地域に限られた生活を余儀なくされていて、それを知ることが できない。しかし、彼らは自分たち以外の人間の世界を知りたがっている。そういう欲 求にこたえて、別の世界、現に地上に実在しているが多くの人には未知の新しい世界を 表現すること、これも文学の職務の一つであって、たとえそれが単なるルポルター ジュ(注2〉に止まっても、十分存在理由はある。ルポルタージュは文学ではないと軽蔑する 人がいるかもしれないが、資質のある文学者なら、新しい異常な題材を扱ったために、 いわゆる芸術性を失い、単なる報告に堕するはずはない。もし、その際単なるルポル タージュしか書けぬような文学者なら、古いありきたりの題材を扱っても、実は③ルポ ルタージュ以上には出られまい。つまり、新しい世界を描いて成功しない場合、非難さ れるべきは作家の才能の乏しさであって、題材の新しさではないのだ。
古めかしい題材でも新しい扱い方をすればよい、という人がいるかもしれないが、そ れは単なる理屈であって、実際の制作上ははなはだ困難なことなのである。なぜなら、 人間は陳腐なものに対してはインタレストを感じることが少なく、これに全身を打ち込ん で把握しようという熱意が起こりにくく、その上、古い題材には先例となる作品がすで にあるから、しらずしらず模倣的となる危険が多いからである。だから陳腐なものを 扱って新しいものを作り出しうるためには、④作家がよほど新しい人間でなければなら ない。そうすれば、どんな題材を扱っても新しいものを生み出しうるわけだが、実際 は、文学上の新しい流派ないし傾向をひらいた作家は、必ず新しい題材を求めて仕事を している。
(中略)
しかし、芸術における新しさを異端的要素として、これを軽蔑する人は決して少なく ない。そして、過去の偉大な作品は今なお新鮮だ、新しさなど不必要だ、などという。 ⑤いかにも、スタンダール (注3〉もボードレール (注4)も、たしかに今日でも新しい。 しか し、同時に気をつけなければならないことは、新しさを軽蔑する守旧主義者が次の事実 を忘れていることである— スタンダールやボードレールが出現したとき、彼らの作品 はとくに新しく、人々を驚かせ、さらに当時の⑥守旧主義者たちの眉をひそめさせたも のだということを。ここで私はイギリスの偉大な哲学者、ホワイトヘッド(注5〉の言葉を思 い出す----⑦「われわれがなしうる最も非ギリシャ的なことは、ギリシャ人を模倣するこ とである。けだし(注6)、断じて彼らは模倣者ではないから。」守旧主義者が、その真似さ えしていれば安全だと思っている、当のギリシャ人たちはその周辺の諸民族に比べて、 異様なまでに⑧非歴史的であり、新奇に憧れたのだという。このことは、すべての過去 の偉大な作品について言えるべきことである。スタンダールのように出現当時認められ なかったものも、 トルストイのように初めから歓迎されたものも、すべて偉大な作品は 当時においてはつねに新しき冒険であったのだ。この事実を忘れて、新しさの必要を軽蔑し、ただ昔の偉大な作品の作風のみを学ぼうとすることは、笑うべき矛盾と言わなけ ればならない。そうした精神から生まれるものはマンネリズム(注7)のみであって、⑨それ は決して人々の心を動かす迫力をもちえない。
(桑原武夫『文学入門』の「新しさ」より)
注 1 : インタレスト /興味、関心。
注2 : ルポルタージュ /現地報告、または報告文。
注3 : スタンダール/フランスの小説家。
注4 : ボードレール/フランスの批評家•詩人。
注5 : ホワイトヘッド/イギリスの数学者•哲学者。
注6 : けだし/たしかに。
注7 : マンネリズム /思考 •行動 •表現などが型に嵌り、新鮮さや独創性がなくなること。
①新たに人生を再発見させるところのものがあるにある「ところ」と同じ意味用法の 文はどれか。
【译文】
文学应当时刻保持新鲜度。多少有些社会经历的人之所以会为文学所吸引,是因为文学作品能打开他 们变得顽固了的心灵外壳,使他们发现崭新的人生,或是能够让他们重新审视自己的人生、产 生 新 的 认 识 。 既然度过人生就意味着要不断去应对新情況、形成新的经验,那么拥有生活欲望的人们对新鲜度感兴趣就 属于自然的、健康的欲求,因此文学必须满足这一欲求。
文学中的新鲜度的含义可能是多种多祥的,首 先 ,可以理解为题材的新鲜度。有一句话叫作“天底下无 新奇事物”(指的是过去存在的东西现在也存在,将来也同样会存在;或是指现在才被发现的事物其实过去 也存在着,只是未被发现而巳),但这种说法即便在停滞不前的中世纪、封建社会行得通,到现代也是荒谬之 谈 了吧。虽然新奇的现象在不断涌现,但人们不得不在有限的地域范围内开展有限的生活,因而无从得知。 但 是 ,他们又很想去了解自身以外的人们的世界。为满足这一欲求,表现另外的世界、描绘现实存在而对多 数人来说是未知的新世界,这也是文学的任务之一 。即使是停留在单纯的报告文学,它也充分具备存在的理 由。也许有人会轻视报告文学,认为它不属于文学。但如果是有资质的文学作家,因为曾经写过新异题材,所 以他们写出来的作品不可能沦为所谓的丧失艺术性、单纯的报告。假 设 ,那时如果是只能写出报告文学的文 学 作 家 ,即使是写老的、司空见惯的題材,实际上也不会写得比报告文学更好。换句话说,描绘新的世界却不 成功的时候,应该遭到非难的是作家才能的贫乏,而非题材的新鲜度。
也许有人会说即便是老掉牙的題材,只要采用新的处理方法便可以了。那只不过是单纯的理论,实际操 作起来是极其困难的。那是因为人对陈腐的事物很难引起兴趣,很难激起全身心投入创作的热情。而 且 ,因 为旧题材已经有成为先例的作品存在,不知不觉之中变成模仿的可能性很大。因此,想要处理陈腐的题材却 能够创作出新鲜事物,作家必须是相当具备技巧、能够化腐朽为神奇的人。似 乎 这样一来,不管是处理怎样 的题材都可以写出新鲜的东西,但实际上,开创了文学史上新流派、新倾向的作家,都必定致力于追求新题 材的工作。
(中略)
但 是 ,将艺术中的新鲜度视为异端因素,并对其表示轻视的人也并不少。而 且 他 们 说 ,过去的伟大作品 至今仍是新颖的,不需要什么新鲜度。确实是那样,无论是司汤达还是波德莱尔,在现在看来依旧非常新颖。 但 是 ,与此同时必须注意的是,轻视新鲜度的守旧主义者忘记了这样一个事实— 司汤达与波德莱尔崭露 头 角 时 ,他们的作品实在太过新颖,震惊了人们,也招致了当时的守旧主义者们的不満。在 此 ,我想起了英国 伟大的哲学家怀特海德说过的话一 “我们做的最不像希腊人作风的事情就是模仿他们。确 实 ,因为希腊人 绝不会是模仿者”。守旧主义者们认为只要对其进行模仿就是保险的,据称当时的希腊人与周边的各个民族 相 比 ,是颠覆历史传统的,几乎到了异样的程度,他们无比憧憬新奇。应该可以说这种情况适用于过去所有 伟大的作品。无论是像司汤达那样在出现初期未被认可的,还是像托尔斯泰那样从一开始便受到欢迎的,所 有伟大的作品在当时都是一种新的冒险。忘却这一事实,轻视新鲜度的必要性,只想学习过去的伟大作品的 写作风格,不得不说这是多么可笑的矛盾。从这样的精神中诞生出的就唯有千篇一律,那样的作品绝对不会 拥有打动人心的感染力。
(节选自桑 原 武 夫 《文学入门》之《新鲜度》)
【解析】画线部的“ところ”意为“点 ,之处”。选 项 А ,“他有吸引人的地方”,此处“ところ”的用法与画线部的用法类似,正确。
选 项B 中的“ところ”意为“部分”。
选 项 С 中的“ところ”意为“时候”,“お 忙 し い と こ ろ を 〜”是一种固定表达,意为“在 (您 )百忙之 中……”。
选 项 D 中的“〜て い た と こ ろ だ ”表示“(当时)正……”。
②近代ではナンセンスであろうとあるが、なぜそう言えるのか。
画线部的主语是“「天 が 下 に 新 し き こ と な し 」などという言葉”,之所以说在现代行不通,原 因在后一句— “新奇な現象は次々と現れている”,选 项 С 正确。
选 项 А ,文章第 1段中有一句话讲到“既然度过人生就意味着要不断去应对新情況,形成新的经 验 ,那么……”,讲的是普遍的情况。选 项 А 中的“近代の人が…”属于张冠李戴,错 误 。
选 项 В,第 1段最后一句讲到“文学はこれに満足を与えねばならない”,句中的“これ”指代“新 しさを求める欲求”,所 以 文 章 提 出 了对文学的要求,并 没有讲到“…欲求に満足を与えてい る”,错 误 。
选 项 D ,“近代で通用するはずはない”的说法太绝对,错误。
③ルポルタージュ以上には出られまいとは何の意味か。
画线部意为“无法超出报告文学以上的程度”,与 选 项 D 中的“不可能成为比报告文学更优秀的 作品”表意一致,正确。
④作家がよほど新しい人間でなければならないとあるが、ここの「新しい人間」とは どういう人間か。
既然是用陈腐的题材都能创作出新鲜的作品,那必然要求作家拥有“化腐朽为神奇”的能力。文 中的“陳腐なものを扱って新しいものを作り出しうる”与 选 项 А 中的“陳腐な題材でも新しい 扱い方で芸術性のある作品にすることができる”表意一致,选 项 А 正确。
选 项 В,“つねに新しい異常な題材を扱って”并未提及,错 误 。
选 项 С,“先例を上手に模倣し”错 误 。
选 项 D ,“ポルタージュ”是第 2段中用到的一个例子,与第 3段中所讲的“陳腐なものを扱って新 しいものを作り出しうる”并无联系,错 误 。
⑤いかにもは、ここでどんな意味なのか。
“いかにも”为副词,意为“的确,诚然”,文中与“たしかに今日でも新しい”相 呼 应 。选 项 С 意为 “正是那样”,表意一致,正确。
⑥守旧主義者たちの眉をひそめさせたとはどんな意味か。
“眉をひそめる”意为“觉得讨厌,感到不快”。文中指 出 ,司汤达与波德莱尔等名家在刚出现吋, 由于他们的作品十分新颖,招致了守旧主义者的不快,选 项 D 与其表意一致,正确。
⑦われわれがなしうる最も非ギリシャ的なことは、ギリシャ人を模倣することである とあるが、それはなぜか。
文中作者引用了英国哲学家怀特海德的话,而画线部后面一句就点明了原因— “断じて彼ら は模倣者ではないから”,选 项 В 正确。
⑧非歴史的でありにある「歴史」とはどんな意味か。
画线部所在句前后形成対照,“守旧主义者认为只要进行模仿就是保险的”,但当时的希腊人憧 憬新奇,是绝对不会守旧的。因此画线部分的“非歴史的”相当干“非 守 旧 的 ”,“歴史”即对应“守 旧”,选 项 А 正确。
⑨それは何を指しているか。
“それ”指代前文中提到的“新しさの必要を軽蔑し、ただ昔の偉大な作品の作風のみを学ぼう とする作品”,选 项 С 中的“過去の作品の作風のみを模倣して”对应“ただ昔の偉大な作品の作 風のみを学ぼうとする”,“新 し さ の 必 要 性 を 顧 み ず ”对应“新しさの必要を軽蔑し”,选 项 C正确。
本文の内容に合うものはどれか。
通篇围绕“文学の新しさ”展 开 ,四个选项中,选 项 D 的概括最为正确。
选 项 A ,文章第 3段开头讲到“苦めかしい題材でも新しい扱い方をすればよい、という人がい るかもしれないが、それは単なる理屈であって、実際の制作上ははなはだ困難なことなので ある”,所以“古めかしいものを新しい扱い方で書き直すことを意昧する場合が多い”的说法 错 误 。
选 项 B,文章第 4段中列举了司汤达与波德莱尔等名家的事例,说明他们在刚出现时也是因为作 品新颖而引起了守旧主义者的不満的,但整篇文章的主题并非“偉大な作品”,选 项 В 错 误 。
选 项 С,“ギリシアを尊敬しているようだが、実はギリシア人の精神を理解していない”错 误 。