次の文章の下線のついた部分を中国語に訳しなさい。
誰でも心配するのは、自分にパソコンの適性があるかないかということである。こ れほど愚問と思える質問もないが、だが初めは誰でも心配になるものだ。
【B1】.およそ文科系とか理科系という分け方もかなりの部分は思い込みによるものが あるのではないかと思うことが多い。自分は文学志望であるとか、自分は音楽志望 であるとか、自分は技術者志望であるとか、学生は誇らしげに言うのをよく聞く。 【B2】. 社会人に対しては礼儀を欠くからできないけれど、学生になぜそう思うのかと尋 ねてみることがある。するとたいがいは、第三者にとっては理由ともいえない理由で あることが多い。
曰く、小学生のころ作文が上手だと先生に褒められた。曰く、中学生のころ、ブラ スバンド(管乐队)でリーダーだった。曰く、小さいころ、ラジオを作って親と先生に褒 められ、あなたは技術者向きといわれた。【B3】. そんな些細なことが人の一生を左右す るのかと、唖然とするくらいである。作文だって、ブラスバンドだって、ラジオだっ て親や周囲の先生が陰ながら援助したに決まっているのである。しかし、恐ろしいの は、そうして醸成された錯覚が本物となっていくことである。
パソコンに適性があるかないかにいたっては、愚問に過ぎて悲しくなってしまう。 自分はパソコンが得意だとか、パソコンが上手だと周囲の人が褒めてくれることは大切である。なんとなくそういう気持ちになってしまう。【B4】. そうしていつの間にか自 分はパソコンのために生まれ、パソコンともに生き、パソコンとともに死ぬのだとい う人種を作り上げていくのである。どう考えても、適性というものなどありえない。
ただし好き嫌いはあるだろう。好みの問題は神様だって手のつけられない問題であ る。【B5】. しかし、この好き嫌いというやつもよく見ていると、頭が硬化してきて新し いものに対する旺盛な知識欲が弱まったり、ある程度世の中で成功していて、確立し た自分の生活に変化の起きることを好まないということに起因する場合かあるようで ある。