われわれが文学に心を向けるのは、自分の漠然(注1)たる悩みを、少しでも解決し、心 の休らい(注2)を得たいという欲求をもっているからである。むろんその相手として、先生 や先輩や友人に気持ちをうち明ける場合もあるだろうが、われわれが文学書に向かう時 の気持ちが、ち ょ う① ど と 同 じ で あ る と い っ て よ い 。いわば何かの書物に向かっ て、自分の悩みをうち明けようとする衝動があるわけで、②ここにおいて書物とは死せ る印刷物でなく、③生ける人間に等しい姿をとるものである。少なくとも一個の人間の ごとく、親しくわれわれに向かってくる文学書、それに出会うことが青春の大きな喜び といってよいであろう。
わたしは、人生における最も大事な問題は出会いであると常に語ってきた。われわれ が人間に形成されてゆくのは、けっして自分ひとりだけの力によるものではない。母親 の胎内から生まれた時と同じように、第二の誕生日といわれる青春時代にも必ず助産婦 がある。人生に大疑問を抱くさまざまな青春の悩みに直面し、そして、初めて「自我」と いうものに目覚める自己を生まれさせてくれるものがある。その人と出会うことが、人 生の大事なのである。ある時は先生であり、友人でもあろうが、文学書がこの助産婦の 役割を果たしてくれることが非常に多いと思う。ある一冊の小説を読んで、なるほど④ 自 分 の 悩 み に 一 つ の 形 を 与 え て く れ た 、 自 分 の 心 に 喜 び を 与 え て く れ た 、今 ( ⑤ )を読んで実によかったと思うことがあるであろう。わたしは( ⑥ ) を出会いの喜びと呼び、またそれを人生の幸福の一つであると思っている。
文学書を読む最後の目的は、そこに自分の心のしるべ(注3)となるような人間像に出会 うことである。自分の精神生活を確立するもっとも合理的な方法は、さまざまな迷いの うちに、一つの書物に出会い、それを書いた人間を尊敬の対象として心のうちに確立す ることである。むろんただひとりでない場合もあろう。また長い間には不満を感じて⑦ を否定したくなることもあろう。しかし、たとい(注4)否定しても、ひとたび出会い の喜びを味わい、尊敬の念を抱いたということは、必ず心のうちによい痕跡を残すもの である。
東西古今のすぐれた芸術家の生涯をみると、必ず⑧そこに強烈な影響を与えた先輩が いる。自分の尊敬する理想の人間像を、導師として仰ぎ、信従し、学び、模倣する。そ ういう長い修練の道を歩まなかった者はひとりもない。その上で初めて自分の独創を表している。独創的になろうとするよりは、自分の 尊 敬 す る 人 間 の 前 に 、⑨ まず自己を否 定することが大切である。われわれを感動させる文学作品は必ずこうした _ 己否定を迫 る。おのれを無とし、い わ ば 心 を 空 し く (注5)し て 接 せ ざ る を 得 な い の で あ る が 、⑩ そぅ いう自己否定を通して初めて「我 」というものが誕生するのである。これは青春時代のみ に限ったことではなく、生 涯のさまざまな時期に、今まで述べたような出会いをもつこ とが大切である。
(亀井勝一郎「文学と青春」により、一部書き換えあり)
注 1 : 漠然 /感じや話などがはっきりしないので、その内容を具体的に把握することができない様子。
注2 : 休らい /休むこと。
注3 : しるべ/道を案內する人。
注4 : たとい…ても /たとえ…ても。
注5 : 空しい /そこを満たしているべき内容が見られない。
①それは何を指しているのだろうか。
【译文】
我们之所以倾心于文学,是因为有这样的诉求:哪怕能稍微解决一点自己说不出来的烦恼也好,以求 得心灵的平静。当然作为这样一种诉求的対象,我们有时也会找老师、前辈或是朋友倾诉心事。我们面对文 学书籍时的心情,可以说是与此相同的。从某种意义上说,我们面对某本书籍,会有将烦恼向之倾诉的冲动, 此时书籍就不再是没有生命的印刷物,而展现出与活生生的人同样的姿态。至少遇到如同一个人那样、与我 们亲切对话的文学书,可以说这是青春时代巨大的喜悦。
我常常说,人生中最重要的问题就是偶遇。我们的人格逐步形成,绝不是仅仅依靠一己之力。就如同从 母体中诞生时一祥,在被称为第二次诞生的青春时代,也一定会有助产妇的存在。我们的人生中有这样一个 人 ,帮助我们面对青春时代的种种疑惑与烦恼,使我们第一次意识到了所谓的“自我”,青春时代的自己也随 之诞生。与那个人的相遇,是我们人生中的一件大事。有时那个人是老师,有时又是朋友,而我认为文学书籍 扮演这个“助产妇”的情形应该非常多。有时读到一本小说,觉得非常认同,它将我们的烦恼概括成某种形 式 ,并给予我们心灵的喜悦,我们会觉得现在读到这本书真是太好了。我将此称为偶遇的喜悦,并觉得这是 人生的幸福之一 。
读文学书籍最终的目的,是在书中邂逅可以成为自己心灵导师的人物形象。确立自己的精神世界最合 理的方法就是,在经历各种各样的迷茫时,遇到一本书,将写书人作为自己尊敬的对象并在心中确立下来, 当然有时可能不仅是一个人。另 外 ,也有可能很长时间对其感到不満,想将其否定。但 是 ,即便是否定,也曾 一度感受过相遇的喜悦,也曾抱有尊敬之情,这样的经历一定会在心里留下积极的印记。
纵观古今中外优秀艺术家的生涯,必定有曾经深深影响过他们的前辈。将自己尊敬的理想的人物形象 作为导师来景仰、信 从 、学 习 、模 仿 。他们无一例外都是从这条漫长的修炼道路走过来的。在此基础上才开始 表现自己独创的东西。与其想要变得有独创性,更为重要的是首先在自己尊敬的人面前否定自己。使我们为 之感动的文学作品一定是要求这样的自我否定的。做到无我,也就是必须将心放空来与之接触,只有通过这 样的自我否定才会有新“我”的诞生。这并不只限于青春时代,在整个生涯的各个时期,拥有像刚才所说的那 样的偶遇都是非常重要的。
(选自龟井胜一郎的《文学与青春》,有部分改动)
【解析】“それ”指代前一句中的“先生や先輩や友人に気持ちを打ち明ける場合”,选 项 D 的表述与其一致 。“それ”所指代的是与“文学書に向かう時の気持ち”一祥的内容。
选 项 А 中的“文学に心を向ける”与“文学書に向かう”表述重复。
选 项 B,作者在此讲的是“時の気持ち”,而不是“人”,错误。
选 项 C,“悩みを解決する”是作者认为的驱使人们去阅读文学作品的心理原因,不是“それ”所 指代的内容。
② こ こ は 、「読書する」行為にとってどんな意味を表しているのだろうか。
文中讲道,“从某种意义上说我们面对某本书籍,有将自己的烦恼向之倾诉的冲动,此时书籍就 不再是没有生命的印刷物,而展现出与活着的人同样的姿态”,显然这里的“ここにおいて”指的 是“此 时 ,在这个时候”,即“读书的时候”,选 项 В 正确。
③生けるはどういう意味か。
“生ける人間”等同干“生きている人間”,选 项 А 正确。“生ける”与前面的“死せる”是相対的。
④ 自分の悩みに一つの形を与えてくれたとあるが、それはどういう意味なのか。
“自分の悩みに一つの形を与えてくれた”,换种说法就是“悩みを形としてまとめることができた”,选 项 С 正 确 。
( ⑤ )( ⑥ )に入る指示代名詞の組み合わせとして最も適当なのを一 組選びなさい。
⑤处应该填入表示近指的“これ”,“これ”指代“ある一冊の小説”。⑥处应填入“それ”,“それ”指 代“ある本を読んで心に感じた喜び”,作者将其称为“出会いの喜び”。⑥后一句中的“またそれ を…”也给出了提示。
⑦それは何を指しているのか。
“否定する”的対象应该是自己过去当作尊敬的対象而确立的“心のしるべとなるような人間 像”,选 项 С 正 确 。选 项 А 中的“書 物 に 書 い た 人 間 ”错 误 ,应 该 是 “そ れ を 書 い た 人 間 ”,即写 书人。
⑧そこは何を指しているのか。
“そこ”指的是前面讲到的“東西古今のすぐれた芸術家の生涯”,对这句话整体的把握是“東西古今のすぐれた芸術家の生涯に必ず強烈な影響を与えた先輩がいる”,选 项 D 正 确 。
⑨ ま ず 自 己 を 否 定 す る こ と と あ る が 、な ぜ 「ま ず 自 己 を 否 定 」しなければならないのか。
作者在本段讲到了“自己を否定する”的重要性,原因在于所有优秀的艺术家都是经历了漫长的修炼之路,即“自分の尊敬する理想の人間像を、導師として仰ぎ、信 従し、学 び 、模倣する”,选 项 С 正 确 。
⑩そういう自己否定を通して初めて「我」というものが誕生するとあるが、著者がこ こで言う「我」とはどんなものか。
本段讲道,“自分の尊敬する人間の前に、まず自己を否定する”“おのれを無とし、いわば心を空しくして接せざるを得ない”,因此 选 项В 正 确 。
选 项 А 错 误 ,单靠模仿很难做到独创。
选 项 С 中的“潜在的な自我”错 误 。
选 项 D 中的“なりきっている”错 误 。
著者はこの文章で何を一番主張しようとしているのか。
文中第三段中讲道“文学書を読む最後の目的は、そこに自分の心のしるべとなるような人間 像に出会うことである”“… さまざまな迷いのうちに、一 つ の 書 物 に 出 会 い 、それを書いた 人間を尊敬の対象として心のうちに確立することである”。因此,选 项 А 正确。
选 项 В 中的“文学は…理想とすべき人間像を描き”与原文中表述不一致。
选 项 С 中的“書物に描かれた人間はまるで本当の人間のように”错 误 。
选 项 D 中的“青年は”论述的范围太窄,作者在文章最后讲到,“これは青春時代のみに限ったこ とではなく…”,错 误 。