[二]
人に話を聞いて心からおもしろく感じる。長年経験してきたことが、改めてそれをくりじ返し経験して、どういう話が本当におもしろいだろうかと考えみたことがあった。
具体的ないくつかの例を思い出しつつ、正直に言って、自分にはどういう人の話が心からおもしろいか、と思案してみると、僕に浮かんできた単純な答えは、それぞれに吟味された言葉で話す人の話、というものだった。その人に話に、一つか二つ本当に吟味された言葉が工夫されていて、それが話の骨格をなす時、その場でも新しい知恵の微風に額をなでられるような気がするし、その言葉を手がかりにして、後々まで話のおもしろさをよみがえらせることができる。
もうずいぶん以前のこと、家族の皆で四国の森の村に帰省したことがあった。長男は祖母になじんで、特に二人が一緒に過ごす時間が長かった。
そして東京へたつ日、帰りの飛行機の中でしきりに気にかけていることがあった。家を出る時、光はおばあちゃんにそれも大好きな声で、「元気を出して、しっかり死んでください!」と言ったというのだ。「はい、元気を出して、しっかり死にましょう、しかし、光さん、お名残惜しいことですな!」と母は答えたそうなのだが……。
そのうち、光は妹とよく話し合った上で、電話で訂正することになった。彼は次のように受話器へ向けて話している間、家族みながわきに集まって、故郷の村での反応をはかるようであったことを覚えている。「誠に失礼しました、言い方が正しくありませんでした!(ア)!」
母は笑って受け止めてくれている様子。彼女はその後大病をして、幸いにも回復したが、しばらくたった後、世話をする妹にこういうことを言ったそうだ。「自分が病気である間、一番力づけになったのは、思いがけないことに、光さんの最初のあいさつであった。元気を出して、しっかり死んでください!その言葉を光さんの声音のままに思い出すと、ともがく勇気が出だ。もしかしたらそのおかげで改めて生きることになったのかもしれない。」
光は家族の中でたいていいつも黙っている。そして田舎の村でも、母が問わず語りをするように、自分が年をとってしまったこと、これからの大仕事が死ぬことだということ、今までたいていのことは経験してきたけれども、死ぬことだけは初めてだからしっかりしていなければならない、というようなことを話すのを聞いていたのだろう。妹も同じ内容の話をしばしば聞かされたというから。そして自分の心にわき起こったものを吟味に吟味して胸のうちの言葉にしていたのだろう。それを本当に名残おしく感じる別れに際して、口に出したわけなのだ。
そして障害を持った孫によって吟味された言葉がおばあちゃんを力づけ、大病を耐え抜かせる起こったのだと思う。僕は光の言葉を、自分自身のやがて来る日のためにもよく覚えておきたい。
文中の「その言葉」とは、どういうことか。
文中に「しきりに気にかけていること」は何か。
文中の(ア)に入れるものはどれか。
文中に「そのおかげで……かもしれない」とあるが、なぜそう言ったのか。
文中の「やがて来る日」とは、どんなときを指しているか。