幸福を願うことは向上と完成を願うことである。よりよいものは、より悪いものとの 関係においてあるのだから、幸福は不幸とともにあるということになる。また、よりよ い生活を望む意欲に限りがないとすれば、どのような幸福も不幸の一面を有するであろ う。その意味で人間は、① その本性において不幸であるといわねばならないのであ ろぅ。
それでは、人間は幸福になることはできないのであろうか。②善美の極を尽くして絶対の完成に達するという意味では、人間はおそらく幸福にとどまることはできないであろう。しかし、人間としての幸福は、いかに哀れなものと見えるにしても、なお私たち に許されている。それは私たちの能力に合わせて、私たちの欲望を制限することから生 まれてくるところの、生活の安定であり、均衡であろう。昔の人は、これを「知足」とい うことばで示した。不幸は不足の感じから生まれる。何の不足もない生活が、すなわち また幸福な生活なのだと考えられる。極端にいえば、何も初めから求めることをしなけ れば、何の不足も感じられず、私たちは不幸を知らないことになる。昔から、③ こぅい う仕方で不幸を克服しようとした人も少なくない。しかし、がまんすることを唯一の美 徳とし、不幸を感じないことを、そのまま直ちに幸福とすることができるかどうか。何 も求めずに、④単なる生存に甘んじる(注1 )ということは、不幸を知らないことであると ともに、また幸福をも知らないことになるのではないか。一切の文化を否定し、生活の 向上を断念することだけが、はたして幸福への道であるかどうか、私たちは疑問に思わ ざるを得ない。それは幸福への願いを捨てることであり、人間性の否定であるとも考え られる。もしこれよりほかに道がないとすれば、人間は人間としてあるかぎり、幸福で ありえないことになる。事実、私たちは無心の動物をうらやむ(注2)ことがあるが、単な る生存には、幸も不幸もない。しかし、人間の幸福は単なる生存以上の、よりよい生活 のうちにあるのであった。⑤そこには不幸も始まるかもしれないが、また幸福も見いだ されるのである。私たちは不幸を恐れて、幸福をあきらめることはできない。
それでは、私たち人間の幸福は、どのようなものであろうか。それは私たちに生活の 向上を許し、文化の発展を助けながら、しかも私たちに「足ること」を知らせるものでな ければならない。人間の生活は、いつも単なる生存以上に出るのであって、そのいたる ところに幸福を見いだすことができる。若葉に包まれたわが家をふと道から眺めたと き、一杯の茶をすすり(注з)ながら、午後の閑寂を味わうとき、あるいはまた明るい電灯 のもとに、子供たちに着せる新しい着物を広げるとき、私たちはそこに⑥貧しいなが 1、人間の幸福というものをしみじみと感じることができる。
しかし、このような満足感のために、日常茶飯事にのみ没頭していては、⑦人間は哀 れな存在にとどまらなければならない。ささやか(注4)なことにも幸福を見いだすという のは、確かに賢いことではあるが、それに甘んじているということは、決してよいこと ではない。( ⑧ )百の不幸を招くにしても、あくまで「よりよい生活」を目指し て、幸福への強烈な意志を持ち続けることが、むしろ望ましいのではないだろうか。
注1 : 甘んじる/与えられたもの以上に多くを望まずおとなしく受け入れる。
注2 : うらやむ/うらやましく思う。
注3 : すする/液状のものを口に少しずつ吸い込む。
注4 : ささやか/小規模なさま。
①その本性においてとあるが、その意味を正しく表しているのはどれか。
【译文】
渴望幸福即期望进步与完成。更好的东西存在于与更坏的东西的相互关系之中,也就是说,幸福与不幸 是同时存在的。另外,假如期望更好生活的愿望没有止境,那么无论怎样的幸福都会有其不幸的一面。从这 层意思上来讲,人从其幸福的本质而言,就不得不说是不幸的了。
那么,是不是人就无法变得幸福了呢?如果从尽善尽美将事情做到极致、达到绝对的完成的层面来讲, 人恐怕是无法停留在幸福的境界的吧。但是,作为人的幸福,无论看起来是如何的悲哀,也是为我们所容许 的。那就是与我们的能力相匹配、克制我们的欲望,由此而产生的生活的安定、均衡。从前的人用“知足”一词 来表达这种境界。不幸是因感到不満足而产生的。人们认为一无所缺的生活,换句话说即是幸福的生活。说 得极端一些,如果从一开始就无所求,那就不会感到任何不満足,我们也就不会知道什么是不幸了。很早以 前开始,就有不少人利用这种方法来克服不幸。然而,将忍耐作为唯一的美徳,从而感觉不到不幸,是否能将 这直接看作幸福呢?无所求,甘于单纯的生存,在不知什么是不幸的同时,也就不知什么是幸福了。否定一切 的文化,放弃对提升生活品质的追求,这到底是不是通往幸福的道路呢,我对此抱有疑问。可以认为那是舍 弃对幸福的期许,也是对人性的否定。假如除此以外再无其他通往幸福的道路的话,那么只要人依旧身为 人 ,幸福就无从谈起。事实上,虽然我们偶尔会羡慕没有思想的动物,但是单纯的生存,既没有不幸也没有幸 福可言。但是,人的幸福应该是超出单纯的生存,存在于更好的生活当中。也许由此会产生不幸,但同样也可以找到幸福。我们不能因为恐惧不幸而放弃去追求幸福。
那么,我们人的幸福,究竟是怎样的呢?它允许我们生活品质的提升,帮助文化的发展,而且还必须告诉 我们要“知足”。人的生活始终是超出单纯的生存的,可以在任何細微之处找到幸福。偶然在路上眺望四周满 是新绿的家、一边品着茶一边感受着午后的悠闲寂寥,或是在明亮的灯光下,摊开要给孩子穿的崭新的衣 裳 ,即便如此单调贫乏,但处处可以让我们体会到人的幸福。
但是,如果为了得到这样的满足感,就只知埋头于日常小事中,那么人就只能止步于一种可悲的存在 了。在细小琐事当中寻找幸福不失为明智之举,但甘于此就绝不是件好事了。即便会招致诸多不幸,但以更 好的生活为目标,保持追求幸福的強烈意愿反而是人们所希望的。
【解析】选 项 А 中的“本来の性質”等同于原文中的“本性”,正确。
②善美の極を尽くして絶対の完成に達するとはどんな意味か。
“善美の極を尽くす”意为“做到尽善尽美”“把事情做到极致”。选 项 В 中的“あらゆる方法を 使って”对应原文中的“善美の極を尽くして”;“最高の善と美を求めようとする”对应“絶対の 完成に達する”,正确。
选 项 А ,“あらゆる善美の極を味わい”“絶対の境地”的表述不正确。
选项С,“究極の真理”在原文中并未提及。
选 项 D ,“究極の善と美”的表述不正确。
③ こういう仕方とはどんな仕方か。
前一句中讲到“何も初めから求めることをしなければ、何の不足も感じられず、私たちは不 幸を知らないことになる”,所以“こういう仕方”即指“何も初めから求めることをしない”,选 项 D 的表述与其一致。
选 项 А ,“何の不足も感じないなら不幸も知らない”是“何も初めから求めることをしない”的结果,而不是方式。
选 项 В,文中并未讲到“「知足」という言葉で不足の感じを追い払う”。
选 项 С,“今なんの不足もない生活をしていると思う仕方”在原文中也没有提到。
④単なる生存に甘んじるに置き換えられる言葉はどれか。
“甘んじる”意为“甘于,安干”,“④単なる生存に甘んじる”即“安于单纯的生存”,对应后文的 “一切の文化を否定し、生活の向上を断念する”。选 项 С “生きているだけに満足する”与其表 述一致。
选 项 А ,“甘える”意为“撒娇,倚仗”,与“甘んじる”的意思不同。
选 项 В,“甘く感じる”的表述错误。
选 项 D,“甘い生活”的表述错误。
⑤そこは何を指しているのか。
关键句是“しかし、人間の幸福は単なる生存以上の、よりよい生活のうちにあるのであっ た”。联系第一段中的“幸福は不幸とともにある”,“そこ”指代“よりよいのを目指す生活”,选 项 С 正确。
选 项 А ,分析前文,得出"単なる生存に甘んじることは…人間性の否定である”,这样的生活是 不会感到不幸的,因而不是“そこ”指代的内容。
选 项 В,“単なる生存以上の生活”表述笼统,不完全等同于“よりよい生活”。
选 项 D ,我们人类虽有时羡慕“無心の動物”,但单纯的生存既没有幸福也没有不幸,正因为如此 ,我们才追求更好的生活以获得幸福,因此“無心の動物をまねる生活”错误。
⑥貧しいながらにある「ながら」と同じ使われ方の文はどれか。
“貧しいながら”中 的 “〜ながら”是逆接的用法。选 项 В 中的“聞きながら買わない”意为“只问不买”,同样是逆接,用法相同。
选 项 A ,“山を登りながら”中 “〜な が ら ”表示动作同时进行,“一边……”。
选 项 C,“音楽を聴きながら勉強する”中“〜な が ら ”也表示动作同时进行,同 A 。
选 项 D ,“生まれながら”是固定用法,意为“生来,天生”。
⑦人間は哀れな存在にとどまらなければならないとあるが、作者は何を言おうとしているのか。
画线部前面写到“… 日常茶飯事にのみ没頭していては”,由“〜に の み 〜て い て は ”的语法结构 可以看出,在这种前提条件下所得到的结果一定是消极的、否定的。同时,画线部的后一句为关 键句— “ささやかな事にも幸福を見いだすというのは、確かに賢いことではあるが、それ に甘んじているというのは、決してよいことではない”,可见作者并非反对在日常生活小事 中寻找幸福,而只是反対甘于此、不去追求更好的生活。选 项 А 表述正确、全面。
选 项 B,正好与作者想要表达的意思相反。
选 项 C,作者所认为的“哀れなもの”并不是在日常生活小事中寻找幸福,由此感到满足,而是由此感到满足之后不再去追求更好的生活。
选 项 D ,対“哀れな人間”的理解有误。
( ⑧ )に入れる言葉として最も適当なのはどれか。
联系后文出现的“〜にしても”以及上下文文意,选 项 В 正确,“た と え 〜て も ”意为“就算…… 也…… たとえ百の不幸を招くにしても”意为“就算会招致诸多的不幸”。
选 项 А ,“たとえば”用于举例,不与表示逆接的“〜て も ”一起使用。
选 项 С,“どんなに 〜ても”意为“无论(多么)……也……”。
选 项 D ,“いかに 〜ても”意为“如何……也……”。
この文章の意味を最も正しく表している文は次のどれか。
选择对文意表述最为正确的一项。第四段第2、3句给出了作者的观点,所谓的“人間の幸福”可以 是在日常生活小事中寻找幸福,但一定不能就此满足并放弃对更好的生活的追求。选 项 А 表述 正确。
选 项 В,第1句的表述是正确的,第二段最后一句讲到“私たちは不幸を恐れて、幸福をあきらめ ることはできない”。第2句是第1句的原因。但选项В 的表述并不能完整概括整篇文章的意思。 选 项 С,前半句的表述是正确的,但“日常的生活に幸福を見いだすべきである”的表述错误,不 是作者所要表达的意思。
选 项 D ,表述本身没有问题,第二段中有关键句“一切の文化を否定し、生活の向上を断念する ことだけが、はたして幸福への道であるかどうか、私たちは疑問に思わざるを得ない”,说 明作者并不认为甘于单纯的生存是通往幸福的道路。但 选项D 的表述只概括了文章的一部分, 不全面。
この文章の題目として最もふさわしいのは次のどれか。
整篇文章都是围绕“幸福”展开的,所以选项D “幸福について”这个标题最合适。选 项 А ,文中未 提及“欲望”,而只在第一段中提到了“意欲”。
选 项 В,“満足感”只在第四段中提及,是对第三段中“人間の生活のいたるところに幸福を感じ ること”的概括。
选 项 С,“生活”虽在全文中都有提及,但太过宽泛,本文主要是围绕“人間の幸福”展开。