41、現在、高齢者の介護(护理)の人手不足が社会問題として浮かび上がっているが、それはすべてお金で解決しようとしているためであるように思われる。生産性という視点から目をそらせて、精神的なものに目をむけると、これほど豊かな資源はないということに気づくでしょう。
どんな小さな子供でも、高齢者を喜ばせることができるし、自らを高齢者と思っている人も、まだ社会に参加できるという自信を持つであろう。42、子供だから、老人だからと言わず、障害者や高齢者の介護にかかわり、そこから得られる精神的な喜びを一般の人々が知るとき、はじめて高齢化社会の問題は解決すると私は考えている。
介護は汚い仕事でもつらい仕事でもない。それを超える大きな感動のある仕事になり得るものである。43、そのことに人々が気づかず、汚い仕事としていつづける限り、介護は汚い仕事でありつづけるであろう。介護を汚い重労働にしているのは人々の意識そのものであるということに気づいていただきたいと願ってやまない。
さらに、これからの時代を生きる人は、子供のときからしっかりした死生観を育む必要がある。少量の血液を採るだけで、いくつかの遺伝病を診断できるようになり、出生前、あるいは出生と同時に、その人が将来重大な病気になるかどうかということを知ることができる時代がきた。(略)
44、人生のいろいろな段階で、医療の発達がもたらす問題を考えてみたが、そのどれをとってみても、私たちがもっとも生命について、死について考え、しっかりとした死生観のもとに生きることが必要なことがわかる。(略)
医療の進歩に翻弄されてしまわないように、私たちがしなければならないことは、生命についての教育と思索であり、介護者の社会化であると私は考えている。
検査、診断技術の発達は、私たちがしっかりした死生観を若いうちから持っていることを要求する。45、人聞は死ぬものであるということを各人が考えて、毎日を充実させて生きることを求めるのである。あまり平和すぎると、私たちは自分たちが死ぬ運命を背負っているということを忘れがちであるが、「死ぬもの」ということが私たちのほんとうの姿である。
现在高龄者的看护人手不足,作为社会问题浮现出来,其原因或许在于人们想用钱去解决这全部的问题吧。把视线从“生产性”的视野中脱离出来,而去关注“精神性”的东西的话,就会注意到没有比这更丰富的资源了吧。
我认为,不要说因为是孩子或是老人就如何,当每个人都能了解从照顾伤残人士和老年人中所得到的精神喜悦的时候,老龄化问题才能够解决。
只要人们没有注意到这件事,只要把照顾病人当作脏活,那这就是份脏活了吧。由衷希望人们能注意到“照顾老人是脏活累活”这种观点只是人们意识本身的问题。
试着考虑过医疗发展所带来的人生各个阶段的问题,明白了这样一个事情,无论是什么问题,我们都有必要深入去思考生命和死亡,都要在正确的生死观下生活。
每个人都在考虑人必有一死,都在追求充实地度过每一天。在过于和平的年代,我们容易忘记自己还背负着死亡的命运,“终有一死”这才是我们生命真正的姿态。