[四]
猫好きの人は誰でも知っているように、 猫は飼主から名を呼ばれた時、 ニャアとな いて返事をするのが面倒くさく、黙ってちょっと尻尾の端を振って見せるのである。 縁側などに蹲って、うっらうつらと日向ぼっこ(晒太阳)を楽しんでいる時などに、試み に名を呼んで見たまえ。人間ならば、うるさい、人がせっかくよい気持に眠りかかっ たところをと、生返事をするか、でなければ狸寝入りをする(装睡)のであるが、猫は必 ずその中間の方法を取り、尾をもって返事をする。それが、体の他の部分はほとんど 動かさず、依然としてうつらうつらしながら、尻尾の末端の方だけを微かに2・3回、 ブルンと振って見せるのである。何にしてもその返事の仕方には一種微妙な表現がこ もっていて、声を出すのは面倒だけども黙っているのもあまり無愛想であるから、ち ょっとこんな方法で挨拶しておこう、と言ったような、そしてまた、呼んでくれるの はありがたいが、実は己は今眠いんだから堪忍してくれないかな、と言ったような、 怠けているような、愛想がいいような複雑な気持が、その簡単な動作によって巧みに 示されるのである。
私が何でこんなことを言い出したかというかと、他人は知らず、私は実にしばしば 自分にも尻尾があったらなあと思い、猫を羨ましく感ずる場合にぶつかるからである。 例えば机に向って筆を執っている最中、または思索している時などに、突然家の人が 入って来てあれこれ用事を訴える。すると、私は尻尾がありさえしたら、ちょっと 2・3回端の方を振っておいて、構わず執筆を続けるなり思索に耽るなりするであろ う。それより一層痛切に尾の必要を感ずるのは、訪客の相手をさせられる時である。 客嫌いの私はよほど気の合った同士とか、敬愛している友達とかに久しぶりで会うよ うな場合を除いて、めったに自分の方から喜んで人に面接することはなく、大概いつ もいやいや会うのであるから、用談の時は別として、漫然たる雑談の相手をしている と、10分か15分もすればたまらなく飽きてくる。で、自然こちらは聞き役になって客 が一人でしゃべることになり、私の心はともすると遠く談話の主題から離れて別の方 へ憧れていき、客を全く置き去りにして(弃置不顾)勝手気ままな空想を追いかけたり、 ついさっきまで書いていた創作の世界へ飛んでいったりする。 従って、ときどき「は い」とか「ふん」とか受け答えはしているものの、それがだんだん上の空 ( 心不在焉 ) になり、間が空きすぎたりすることを免れない。時には、ハっとして礼を失していたことに気がつき、気を引き締めてみるのであるが、その努力も長続きがせず、ややも すればすぐまたかけ離れようとする。そういう時には私はあたかも自分が尻尾を生や しているかの如く想像し、尻が痒くなるのである。そして、「はい」とか「ふん」と かいう代わりに、空想の尻尾を振り、それだけで済ましておくこともある。猫の尻尾 と違って相手の人に見てもらえないのが残念であるが、それでも自分の心持では、こ れを振ると振らないでは、いくらか違う。相手の人には分からないでも、自分ではこ れを振ることによって受け答えだけはしているつもりなのである。





