[三]
これは好きだ、あれは嫌いだということをわれわれはよく口にする。人物についても、食べ物や衣服の選択にあたっても、野球や相撲の応援に際しても、好き・嫌いの問題はからまってくる。大人の日常生活の中にはいやでもやらなくてはならないこと、嫌いでも付き合わなくてはならない人もあるが、子どもの生活はほとんど好き嫌いかによって左右されている。好き嫌いを自由に表現することも子どもには大幅に許されているが、大人では心の中で嫌いだと思っても、それを表情に出してはならないこともある。相手に対して「あなたを好きです」という好意的表現はしやすいが、「あなたは嫌いです」ということはなかなか口に出しにくい。それだけ嫌いな人と相対しているときは非常に気が重くなる。
それにたいして釣りとかゴルフとか、いわゆる余暇時間を楽しんでいる時には人は機嫌よく見える。自分の好きなことをやっているときには積極的に接近し、それに関与することに喜びを感じる。これにたいして嫌いなことはできるだけ回避し、やむを得ずそれと接触しなくてはならない場合には、身体的にも心理的にも苦痛を感ずる。これは人間の行動に見られるかなり大きな原則である。好きな人と過ごした時間には充実感があり、時の流れも早く感ずる。好きな食べ物はつい食べ過ぎてしまう。午後、小学校の校門を出て家路につく子どもたちの表情には登校の時とは違った。ホッとしたような解放感があるものである。拘束された時間と場所から解放されて、自分が選んだ過ごし方ができるときに体験される、寛いだ感じは夕方以降の居酒屋におけるサラリーマンの表情や動作にも見られる通りである。これに対していやな会議は長く感じられるし、退屈で疲れも大きい。嫌いな人には自分を打ち明ける気持ちにはならないし、その相手の私生活にも興味がない。嫌いな人とやむを得ず数時間を過ごしている時には、自分がなんとなく無口になり、食欲も活発でなくなっていることに気が付くであろう。気の合った仲間と飲む酒はうまく、早く酔いがまわるが、仕事の関係で仕方なく飲んできる時はいくら飲んでも酔わないものである。楽しいことがあるときは前の晩から心がはずみ、その日の朝の目ざめもさわやかである。これと逆に気の重いことのある日や、嫌いな人と会わなくてはならない日は気持ちも沈み、なかには朝から下痢をしたり吐いたりすることもある。
文中の「それ」は何を指しているか。
文中の「人間の行動に見られるかなり大きな原則」とは、どんなことか。
文中の中「登校の時」の子供たちの様子はどんなものか。
文中に「自分がなんとなく無口になり」とあるが、それはなぜか。
この文章の中に合わないものはどれか。