【B1】.都市の近代化にし たがっ て、 北京の古い建築様式•四合院が、 だんだんと姿を消し ていま す。 明、 清の時代に誕生し 、 当時は、 庶民たちの住ま いと して広く 一般的に見ら れた四合院は、 いま 、 都心の一部地区でし か見ら れないよ う になっ ていま す。 ま たわずかに保存さ れた四合院も 風化によ っ て、 ま た住民の不注意によ っ て壊れるこ と も あり 、 昔のま ま 残っ ているも のは、 数少なく なっ ていま す。
故宫が皇帝のも のだと すれば、 四合院は庶民の住宅です。 かつて、 故宮と 並んで北京の建築物の代表格と なっ ていた四合院に、 様々 な「飾り 」 があること はご存知でし ょ う か。
ま ず、 【B2】. 四合院の入り 口に、 「門坎」 と 呼ばれる敷居(门槛) のよ う なも のがあり ま す。 日本では、 木製のも のが多いよ う ですが、 北京の四合院は木だけでなく 、 石製のも のも あり ま す。 ま た、 昔は馬車が主な乗り 物でし たから 、 その出入り に便利なよ う に、 一部の四合院には、 「門坎」 を門に固定せず、 移動可能なも のにし ていると こ ろも あり ま す。
そし て、 【B3】. 人々 の考えでは、 こ の「門坎」 は内と 外を区切る境界線と いう だけでなく 、 妖怪などを寄せ付けないための“縁起物(吉祥物) ” にも なっ ていま す。 ですから 、 門を出る時、 「門坎丨 を踏んではいけま せん。 ま たいで越えるのです。 こ れも 日本と 同じ です。 ま た、 お客さ んを送ると き の礼儀とし て、 お客さ んを「門坎」 の外ま で見送り ま す。
次、 おなじ みの「門ト ン(门墩) 」 です。 こ れは門扉の回転軸を支える土台で、 大理石で作っ たも のが多いです。 形は、 その多く が獅子、 虎、 太鼓、 箱などに彫刻さ れていま す。
【B4】. 昔、 獅子や虎は「野獣の王」 と さ れ、 昔の人は、 それら の動物で家を守るこ と を考え、 「門ト ン」 を獅子や虎の形に作っ たそう です。 ま た、 太鼓や箱の形をし たも のも あり 、 その上に家紋のよ う なも のが刻ま れていま す。 こ れは四合院の主人の社会的地位を表すも ので、 縁起のいいも のと さ れてき ま した。
門をく ぐっ て見えるのは、 庭の風景ではなく 、 目隠し の塀・ 「影壁」 です。いろいろな塑像がはめ込ま れた塀は、 魔よ けのほか、 庭の中を直接見ら れるのを避けるため、 置かれたも のですが、 今では、 鬼ごっ こ など、 子供たちの遊び道具と なっ てし ま いま し た。
【B5】. 昔、 四合院を建てる時、 こ れら の飾り 物は欠けてはなら ないも のと さ れていま し た。 一つ一つには、 それぞれの由来があり ま すが、 「吉を祈り 、 福を求める」 と いう 人々 の願いは共通し ていま す。 昔の北京の民俗風習が体現される四合院。 中国の伝統ある文化を理解するには、 四合院を見物し ながら 、その飾り に目を向けてみるのも いいかも し れま せん。