阅读理解

[四]

  現代的な生活はたいへん忙しく、心の緊張をひどく要求する。朝夕のラッシュの時間はもちろんのこと、家に帰り着いてからも、細く分断された無秩序の番組がつづくテレビを見なくてはいられぬように仕組まれている。こうした毎日の生活というものをあらためて気づいてみると、私たちの日常はなんと刺激=反応の生活だろうと思われ、そしてなんと刺激=無反応の世界だろうとおどろいてしまう。そうした刺激的な緊張と煩わしさのなかにいながら、実は、私たちの心はきわめて退屈しているようだ。

  退屈といえば、することがなくて時間を持て余すどろりとした気分のことだと思うけれども、現代の退屈はちょうどそれの裏返しで、することが一杯詰まっていて時間の経過に気づかないような忙しさのなかで発生する。本当に奇妙なことだ。私たちの心は絶え間ない刺激のなかで張りつめられ、すばしこく動き回り、それでいて同時に私たちの心は退屈し、生きることにあきている。

  こうした生活では生きがいがないとだれでも感じるけれども、この生きがいのなさというものをよく見つめてみると、生きているに値するだけの値打ちがないという感じよりも、「生きている実感」がないということらしい。人間の眼は前にむいてつき、足は前へ歩くようにできているが、実際自分が生きているという実感は、姿勢が前むきで、自分の足で前へ進んでいるときに生まれるものなのである。

  けれども近ごろの私たちの毎日には「自分からする」うごきが乏しい。朝、六時半になると機械にまけぬほど正確に意識がかえり、きまった時刻に駅について電車につみこまれ、職場へはこばれる。タイムレコーダー(考勤机)があり、点呼があるだろう。一日の勤めのあと、もう一度タイムレコーダーの前に立ち、そして電車に積み込まれ、家に運ばれる。

  こんなぐあいで毎日毎日の生活に生の重みというものがなくなってしまったからこそ、今の若い人たちは、型にはまった日常の世界からぬけだして、ヒマラヤの奥地やアンデス(安第斯)の山岳地帯でもって重みのある生存感を確かめようとするのだろう。

  これほどの遠い土地でなくて内地にしたところが、まだ、バスの乗り入れていない山境へ出掛けるとなると、まず自分で企画し、物質を整え、運ばなくてはならない。そして自分の足で一歩一歩自分をひきあげることが必要だし、不測の災難に出遭ったら、洞察力と意志と、あらゆる「自分の」力で立ち向かわなくてはならない。今日は楽をしたいから隣のデスクに仕事をたのんで、そのかわりあした天気が回復したら出発する――というわけにはいかない。一切が自分にかかっている。そこには文字どおり充実した自分と、重みのある実在の世界が向かいあっているのだ。

单选题

文中の「刺激=無反応」の意味はどれか。

【正确答案】 B
【答案解析】
单选题

文中に「現代の退屈」とあるが、それはどのようなものか。

【正确答案】 C
【答案解析】
单选题

文中に「『生きている実感』がない」とあるが、その原因は何か。

【正确答案】 A
【答案解析】
单选题

文中の「生の重み」を求めるには、筆者は何が一番重要だと考えているか。

【正确答案】 D
【答案解析】
单选题

この文章の内容に合っているものはどれか。

【正确答案】 C
【答案解析】