私は大学で長年、機械設計について教えてきました。そこでの経験を通じて感じたのは、どんな場面でも応用できる知識を学生たちが身につける(1)、自分自身で小さな失敗を経験したり、他人の失敗を知ったりすることがもっとも有効だということです。
多くの学問がそうであるように、このときはこうすべきだという「うまくいく方法」を教える講義を行っていると、眠そうな顔で(2)それを聞いている学生がたいがい何人かいるものです。それが失敗の話を始めた(3)、そのような学生たち(4)一転して目を生き生きとさせ、熱心に話に聞き入るということがよくありました。この原因を私なりに考えてみたところ、「同じ失敗をしてはいけないと感じることで、学ぶ必要性の認識が生まれたからだ」という答えに至りました。失敗には、(5)人を引きつける不思議な魅力があるのは確かです。その秘密に迫ってみようと、さまざまな失敗を注意深く観察し、体系的にまとめたのが、私が「失敗学」と呼んでいる考え方です。
私は失敗とは、「人間が関わって行う一つの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」と定義しています。失敗には、いつも負の(6)が付き纏います(伴随)。失敗を経験すると、人は誰でも(7)がったり、恥ずかしがったり、不愉快な思いをします。(8)、人が新しいことに挑戦すれば、それこそはじめは失敗の連続なので困ってしまいます。そうした失敗を避けるために、過去の成功体験、成功事例に学んで必死に努力している人もいます。しかしどんなに準備をしたつもりでも、必ず予期せぬことが起こり、やっぱり失敗を経験することになります。
失敗しないためのいちばんの方法は、何も新しいことにチャレンジしないことです。しかしそうした人は、失敗はしないかもしれませんが、その人には成功も喜びも訪れません。それどころか何もしなかったことで、結局じり貧(越来越坏)という結末が待っているだけかもしれません。
失敗はマイナス面(9)目を向ければ確かにこれほど嫌なものはありません。しかし反対にプラス面を見てみると、失敗が人類の進歩、社会の発展に大きく寄与してきた事実があることも忘れてはならないように思います。昔から人間は失敗に学び、そこからさらに考えを深めてきました。人々の生活を快適にした画期的な発明を振り返ってみても、そのすべては「失敗は成功の母」「失敗は成功のもと」などの言葉に代表されるような、過去の失敗から多くのことを学んで、これを新たな創造の種にすることでなし得たものなのです。個人のことを考えても同じことが言えます。私たちが日常的に行っているすべての事柄、仕事でも家事でも、趣味でも何でも失敗なしに上達することは不可能です。人の行動には必ず失敗が付き纏う(10)ですが、一方でそうした失敗なしに、人間が成長していくこともまたあり得ません。
では、成長するために、なんでもかんでもとにかく失敗せずいいのかというと、そんなことはありません。失敗(11)きちんと知り、過去の失敗を(12)ようにならなければ、失敗を「成功の母」や「成功のもと」にすることはできません。何も考えずにただ漫然と同じ失敗を繰り返しているだけでは、失敗は成功の母どころか、大きな失敗を生み出す「失敗の母」「失敗のもと」にしかならないのです。
(1)~(1)に入れるのにもっとも適切なものはどれか。
文中の「教えてきました」の「てきました(てきた)」と同じ使い方のものはどれか。
文中の「私なり」の「なり」と同じ使い方のものはどれか。
文中の「考えてみたところ」の「たところ」と同じ使い方のものはどれか。
文中の「迫ってみようと」の「(よ)うと」と同じ使い方のものはどれか。
文中の「準備をしたつもり」の「つもり」と同じ使い方のものはどれか。
文中の[忘れてはならない]と同じ意味のものはどれか。
文中の「定めた」の読み方はどれか。
文中の「画期」の読み方はどれか。