[二]
ぼくの家は数メートルの崖の上にある。崖は石垣になっていて、ゆるやかな反比例のカーブを描いている。ちょっとしたお城の石垣みたいで、たまに下から見上げると なかなか気分がよろしい。ところが気分がよいのはそこまでである。
石垣の下は道路であるが、駅のある繁華街方面へは上の道を通って行くため、我が 家の人間がこの道路を利用することはめったにない。にもかかわらず、石垣の下の、 道路沿いの溝は、我が家の人間が掃除しなければならない。石垣の上の我が家の庭か ら石垣の下へものを落とすことはまずないのだが、そう決められているからしかたが ない。月に二度、妻が不平を言いながら掃除におりて行く。この溝が、いつもはなは だ汚いのである。タバコの吸殼、菓子袋、ミカンの皮はいうに及ばず、その他いろん なものが捨ててある。日本人の公衆道徳のなさを見る思いである。たいていは通りが かりに捨てるのだろうが、中にはわざわざ捨てにきたとしか思えないようなものが捨 ててあることもある。
たとえば、テレビが捨てられたこともある。そんなもの、拾ってきてもどうしよう もないので、粗大ゴミ回収の日がきたら持って行こうと思いながら抛っておいたら、 四、五日してなくなっていた。妻の話によれば、「これ何や」といって五、六人が崖 下で騷いでいたそうだから、親切にもその連中が持っていってくれたのであろう。こ ちらは助かった。それにしても他人の迷惑を考えぬ道徳心のないやつが多い。いや、 もちろん、他人の迷惑を考える能力ぐらいはあるのだろうが、こういうやつはむしろ 他人の迷惑を面白がる人間なのであろう。
あなた、これ捨ててきてよといって、毎朝出勤するサラリーマンの亭主にゴミの袋 をことづける女房族がいるそうだ。亭主の方は捨て場に困り、電車の網棚の上へわざ と置き忘れてくる。車掌が忘れ物と思って中をあけるとゴミだった。こういうのが最 近多いそうだが、あきれたものである。こういうのは人に隠れてするから、する本人 はしていることが公衆道徳に反することだと知ってやっているらしいことがわかる。
道徳や礼儀を身につけているかいないかは、ふつう誰もがそう思っているように、 家庭とか学校の躾によるものではない、と、ぼくは思うのだ。多少表面的な効果はあ っても、それはあくまで建前的に道徳、礼儀を自慢する際の役にしか立たず、家庭で きびしい躾を受けた男が大学へ入るなりたちまち反動的に周囲の蛮カラ(粗野的)風に染 まって汚いことを平気でやりはじめることはしばしば見かけることだ。教養だって役 に立っていないと思う。道德や礼儀は学問とは別物に思えてしかたがない。




