「学者の話は一般論で、自分の仕事には関係ない」と思っている経営者も少なくない。確かに、いろいろなプロがいる中で、経営学者ほど頼りないプロはいない。医者でも法 律家でも、大学で教えることもできれば、実際に病気の治療や裁判所で判決を下したり 弁護したりする仕事ができる。ゴルフのレッスンプロ(注1)でも、ゴルフ自慢の素人を教え ることができる腕前をもっている。①ひとり経営学者のみが、経営ができないにもかか わらず経営(学)を教えている。
学者の友人は少なくないが、株や為替を買ってうまくいったという話を、黙っている のかもしれないが、聞いたことがない。難しい数学を使った金融資産選択論をやっていた友人は、当時、自身の資産選択については②「郵便局の定額預金以外利用したことが ない」と言っていた。私は、経営学者の友人が「これから円高だ」と言い出せば、すかさず 円を売ることにしている。③ こんな有様なのだ。ましてや、もっと複雑な会社の経営と なると、なおさらである。経営学者が経営をやっても教えても、なかには才覚のある人も いると思うが、一般的にはあまり大きい期待をかけることはできないように思う。そういう 人が、経営の本を書いたり論文を書いたりしている。考えてみれば、奇妙な話である。
経営学者も、「実際の経営に役に立ちたい」という気持ちはある。だが、ここのところ であえて言わせてもらえば、私を含めて多くの学者は、自分の所説が経営の実務に直接 的にすぐに役に立つとは思ってはいないというのが正直なところである。④良きにつけ 悪しきにつけ、学者のクライアント (注2)は実務家ではなく学者なのである。クライアン 卜が実務家だという人は、コンサルタントほ3〉であって学者ではない。学者でない人には 信じられないかもしれないが、⑤そうした存在として学者は社会においてその存在が許 されているのだと思う。
だが、そうした学者の、(いささか現場の有効性に無頓着なところが少なくない)その 所説も、慧眼の経営者は重要な経営上のインサイト (注4)に結びつける。⑥ここが大事な ところだ。それを可能にするのは、本書の主題であるのだが、それら経営者の「暗黙に 認識する力」とそれを育む「対象に棲み込む力」である。
学者の所説を一つの素材として自分の構想に取り込み、構想を描く。あるいは、⑦主 の所説の中に棲み込んで、その所説を自家薬籠中のものとするほ(注5)。所説の良いところも 悪いところも、裏も表も理解する。そしてたぶん、その所説を述べる学者が当初想定し た範囲を超えて、⑧その所説に新たな意味づけを与え新しい生命を吹き込む。そのよう にして、経営学における知識や所説は、彼らにとってかけがえのないものとなり、自身 の事業経営の核にも位置することになる。
社会科学の一分野としての経営学と経営実務との間における一つの関係は、こうした ものであると思う。経営実務は経営実務で、経営学は経営学で、それぞれにみずからを 律するディシプリン(注6)をもつ。 ドイツの社会システム論者ニクラス•ルーマン流に言う と、それぞれはさしあたり独立の存在として一つのシステムを構成する。もちろん、両 者に接点がないわけではない。互いに、他のシステムの成果をみずからのシステムの中 に取り込み、みずからのディシブリンに基づいて(言い換えると、⑨その成果を生み出し た当事者の思惑とは無関連に)それを消化吸収する。だが、それぞれのシステム原理だ けを言えば、所説を実践するために経営するわけでもなければ、経営の実践をうまく やっていくために研究するわけでもない。
( 石井淳蔵 『ビジネス • インサイトー 創造の知とは何か 』より)
注 1 : レッスンプロ/ゴルフなどで、練習指導を専門とする人。
注2 : クライアント/依頼者や顧客。
注3 : コンサルタント /企業経営 •管理の技術などについて、指導 •助言をする専門家。
注4 : インサイト/洞察力。
注 5 : 自家薬籠中のもの /自分の薬箱の中にある薬のように、いつでも自分のために役立てうるものや 人。思うままに使いこなせるもの。
注6 :ディシプリン/統制、規律。
①ひとり経営学者のみにある「ひとり」はどんな意味を表しているのか。
【译文】
有不少经营者认为“学者的论调只适用于一般情況,与自己的工作并无联系”。确 实 ,在各行各业的专家 当中,要数经营学者最靠不住了。无论是医生还是法律专家,只要能在大学中授课,就可以从事疾病治疗、在 法院给出判决或是进行辩护的工作。即便是高尔夫球的专业指导师,也拥有教那些高尔夫打得不错的非专 业人士的本领。唯独经营学者,尽管不会经营却在教授着经营学。
我有不少学者朋友,但未曾听说谁买了股票、外汇赚了钱的,也许有人是默不作声吧。有一个运用复杂 数学研究金融资产选择论的朋友,之前谈及他自身的资产选择,他说“我只选择过邮局的定期存款”。经营学 者朋友一说“接下来日元要升值了”,我就马上把日元卖了。因为我觉得他们的话不可信。更何况若要谈及更 为复杂的公司经营,他们就更靠不住了。即便经营学者从事经营、教授经营学,虽然我想其中也有有才之人 吧 ,但我认为通常情况是不能抱以很大期望的。那些人或著有经营方面的书籍,或写论 文 。想想还真是一件 奇妙的事情。
其实经营学者心里也存在“想对实际经营起作用”的想法。但 是 ,容我 在 此 畅 所 欲 言 的 话 ,我想说实际 上 ,包括我在内的学者们并不认为自己的理论能够对经营中的实际业务产生直接的、立竿见影的作用。无论 好 坏 ,学者的服务对象不是实业家而是学者。以实业家为服务対象的人应当算是顾问而不是学者。也许不是 学者的人觉得难以置信,但学者就是这样一种存在,且这种存在在社会上受到认可。
但 是 ,即便是那样的学者,独具慧眼的经营者也会将他们的(完全不在乎在实际运用中的有效性的理论 也不少)学说与经营中的洞察力相结合。这一点很关键。本书的主题就是将这一点变为可能,那就是经营者 的“自我领悟的能力”与培养这种能力的“透彻理解対象的能力”。
将学者所说的内容作为一个素材引入自己的构思中,再去描绘自己的构思。或者是深入其内容中,将学 者所说的变成自己的东西。无论是好的还是不好的,表面的还是深层的内容都加以透彻理解。说不定就能超 越论述该理论的学者当初所设想的范围,赋予该理论新的意义,为其注入新的生命。那 样 一 来 ,经营学中的 知识与学说,对他们而言就成了无法替代的东西,并占据自己的经营事业的核心位置。
作为社会科学中的一大领域,经营学与经营实务之间存在着这样的一层关系。经营实务是经营实务,经 营学是经营学,它们各自拥有律己的规则。按照德国的社会体系论者尼古拉斯卢曼的说法,经营实务与经营 学目前作为各自独立的存在分别构成一个体系。当然,两者之间并不是不存在交集的。相互吸收另一体系的 成 果 ,并基于自身规则(換言之,与创造该成果的当事人的所想无关)对其成果进行消化吸收。但 是 ,仅从各 自的体系原理而言,既不是为实践理论而进行经营,也不是为了使经营实践顺利开展而进行理论研究的。
(节选自石井淳藏《商业 •洞察力— 何为创造的智慧》)
【解析】画线部的“ひ と り 〜の み ”相当于“ひ と り 〜だ け ”,此处的“ひとり”并不表示“一个人”,而表示“只是,仅仅”,用于强调“だけ”,选 项 C 正确。
友人が②郵便局の定額預金以外利用したことがないと言うが、それは何を意味する のか。
该句中作者讲述了一个朋友的情況,那个朋友从事与金融资产选择论相关的工作,但对于其自 身的资产选择,却称“只选择过邮局的定期存款”,这表明自己的研究领域与自身的实际运用并 不 相干,选 项 А 正 确 。
选 项 В ,因为文中提到“難しい数学を使った”,所以“金融資産選択をやるには、難しい数学の知識が必要だ”的说法正确,但“やらないほうがいい”在文中并未提及。
作者讲述其朋友的例子旨在说明理论研究与实际运用之间并不相干,而不是想讲邮政储蓄的优 点 、好 处 ,选 项 C 、D 错 误。
③ こんな有様なのだとはどういう意味か。
“こんな有様”指 的 是 前 一 句 中 的 “私 は 、経 営 学 者の友人が「こ れ か ら 円 高 だ 」と言い出せ ば 、すかさず円を売ることにしている”,很 显然,作者是因为认为其学者朋友的话信不过才这 么做的,选 项 D 正 确 。
④良きにつけ悪しきにつけの意味の説明として最も近いものはどれか。
“〜に つ け 〜に つ け ”是固定表达方式,接在两个表示対立的内容之后,意为“无 论 ……都 ……” “……也好……也好”。选 项 C ,“〜 (は)別として”意为“暂且不提……”“……另当别论”。此处两 者表意相近。
选 项 A ,“〜か 〜か 分 か ら な い ”意为“不知道是……还是……”。
选 项 B ,“〜こ と も 〜こ と も あ る ”意为“既有……也有……”。
选 项 D ,“〜て も 〜て も 構 わ な い ”意为“即使……或者……都无所谓”。
⑤そうした存在とは、どんな存在であろうか。
观察画线部所在句,可以得知“そうした存在”即指“学者”。而具体指的是前文中讲的“自分の所 説 が 経営の実務に直接的にすぐに役に立つとは思ってはいない(私 を 含 め て の )多くの学 者”,选 项 А 正 确 。
选 项 B ,“直接的にすぐに役に立ってほしい”错 误 。
选 项 C ,“なぜ経営の実務に役に立たないのか悩んでいる”错 误 。
选 项 D ,“実務家でもなく、コンサルタントでもない”错 误 。
⑥ こことは、何を指しているのか。
“ここ”指的是前一句中的“学者の所説を重要な経営上のインサイトに結びつけること”,选项 В 正 确 。
⑦その所説の中に棲み込んでとあるが、ここの「棲み込む」とはどんな意味か。
画线部后面一句对画线句给出了解释— “所説の良いところも悪いところも、裏 も 表 も 理 解する”,所以“棲み込む”在本文表示“(所説の中に)深く入り込んで、すべてを理解する”,选 项 В 表意一致,正确。
选 项 А ,“学者と生活をともにする”错 误 。
选 项 С ,“学者の所に棲み込んで、説明をよく聞く”错 误 。
选 项 D ,“学者の所に通う”错 误 。
⑧その所説に新たな意味づけを与え新しい生命を吹き込むとあるが、ここの「新たな 意味づけ」と「新しい生命」とは何を意味するのであろうか。
因为画线部是由“そして”承接而来,所以画线部指的是前文中的“学者の所説を一つの素材と して自分の構想に取り込み、構想を描く”“その所説の中に棲み込んで、その所説を自家薬 籠 中 の も の と す る ”,所以一是要深入、彻底 理 解 ,二是要将之转化为自己的东西,也就是将其 运用于自身的经营实务,选 项 D 正 确 。
选 项 А 、В 的描述不够全面,应结合起来,错 误 。
选 项 C ,不能只停留在“理解する”的层面上,更重要的是将之与经营上的洞察力相结合。
⑨その成果を生み出した当事者の思惑とは無関連にとあるが、なぜ「無関連」という のか。
文章第 5段中讲到“その所説を述べる学者が当初想定した範囲を超えて、その所説に新たな 意味づけを与え新しい生命を吹き込む”,经营者透彻理解学者的学说,将 之变成自己的东西, 他们在经营实务中对学者学说的实际运用已经超出了学者著书立说时的所想及期待,所以才说 “当事者の思惑とは無関連に”,选 项 C 正确。
この文章で作者は経営研究と経営実践の関係についてどんな主張をしているのだろ うか。
作者在文章中讲述了经营学者的学说与经营实务之间的关系,其最想表达的内容出现在文章第 5段最后一句— “そのようにして、経営学における知識や所説は、彼らにとってかけがえの ないものとなり、自身の事業経営の核にも位置することになる”。经营学说与经营实务之间 本身没有必然的关联,但经营者可以将学者的学说作为素材,透彻理解学说,将其转化为自己的 东 西 ,并根据自身情况运用于经营实务中。虽然与学者当初的所想与期待无关,但这样的理论可 以成为经营实践的核心,选 项 А 表意一致,正确。