「中学生らしく」とか、「高校生らしく」とか、よく言う。
ぼくは、この言葉(1)嫌いだ。そんなことを言っていると、男は男らしく、 女は女らしくなって、はては日本人は日本人らしく、なんてことを言い出すのじゃな いかと思う。
ナントカらしさというのは、(2)人それぞれに思い入れがありながら、なに かのタイプを(3)、人間をその型に嵌め込もうとするところがある。それが、 どうしてナントカらしいのか、といわれたら困るだろう。ぼくだって、大学教授らし くしろなんて言われたら、どうしていいか、わからない。
もっとも、「中学生らしくないように」とか「高校生らしくないように」とか、そ うふるまおうとするのも、同じくらいあほらしい。型から抜けようとして、別の型に はまりかねない。
(4)、自分らしくあるのが、最上だろう。なにをするにしても、ああ、あの人 らしいことをするといわれ、あの人らしい考え方だと思われるのがよい。(5)、 なにかの型なんか必要ない。
もっとも、人間がそうなるのは、一生かかるとも言える。ほかの誰でもない、自分 の生き方を作っ(6)ことが、その人の一生のようなものだ。
それでも、若者は若者なりに、「若者らしく」ある以前に、その人らしさがあって よいと思う。「中学生」であったり、「高校生」であったりする以前に、(7) 人間であり、それも、ほかの誰でもない、自分という人間なのだから。
ナントカらしさなどと言わずに、たとえば、やさしさを(8)ことはできる。 それは「女らしさ」から来たりはしない。きみが男の子なら男の子なりに、そして、 女の子なら女の子なりに、やさしさを持てばよい。その場合に、男ならこんな具合に、 女ならあんな具合にと、(9)わけではない。それぞれに、自分にあったやさし さなり、自分としての魅力なりを持てばよいのだ。
ところが、世間というものは、中学生が「中学生らしい」型にあると、安心するようなところがある。もっとも、その「中学生らしさ」というのは、(10)勝手に 動くもので、何が「中学生らしさ」のかと聞かれたら、誰だって困るだろう。ただし、 その曖昧なのが管理する側から便利なところが、もっとも困ることである。
さらに、この「らしさ」というのが、どうも受け入れられてしまうのだ。先日テレ ビで、制服は必要かどうかという討論を見ていたら、なんと制服(11)反対する 人までが、「中学生らしく」ありさえすれば、制服でなくてもよい、と主張していた。
ぼくは「中学生」であるとか、「高校生」であるとかいうのは、その人の人間性 (12)、副次的なことと思う。学生とか、教師とか、サラリーマンとかその人が 社会的に存在している身分で、あり方を決めようとしすぎると思うのだ。江戸時代な ら、武士は武士らしく、町人は町人らしくしてないと、ひどい目にあったものだが、 今はそんな時代ではないはずだ。
(1)~(12)に入れるのにもっとも適切なものはどれか





考点:副助词

















考点:单词读音
考点:单词读音