[一]
人々は、他人との比較によってだけ、自分の幸福を判断する悪い癖に取り付かれている。隣の家で新車を買ったから自分も買わないと苦痛になる。友人が海外旅行するから自分もする、他人が持っていないものを持つと優越感から快楽を感じる、だれかが出世したり、お金をもうけると嫉妬を感じて苦痛になる。
もちろん、これは個人の責任ばかりでなく、激しく競争する各企業が、自社の製品をより大量に販売するため、広告などを通じて、消費をあおり続けなければならないという、現代経済の体質の結果でもある。
( ア )、経済大国になったにもかかわらず、だれもが時間に余裕がなく、せっせと働き、さらなる経済発展が、つねに国民の最大の関心事となっている。だれも、この小さい争いから脱出することができない。その結果がモノの大量生産と大量消費、ゴミの大量排出であり、エネルギー資源の浪費であり、そして地球環境の悪化でもある。
どこの家庭でも、ところ狭しとモノがあふれている。休日には、道路を渋滞させて、同じようなレジャーをめぐる争い合いをし、疲労回復どころか、余計に体と神経をすり減らしている。そろそろ自分らしい本当の幸福というものを考えてもよいのではないだろうか。
最近、価値観の多様化ということが、しきりに言われる。各個人が、あまり他人を気にせず、個性的な基準によって生活を楽しむようになれば、こうした小さい争いによる浪費は少なくなるように思われる。他人に対する嫉妬からくる不安や苦痛からも解放されるだろう。
モノの大量消費は、はじめは快楽であっても、次第に重荷になり、むしろカッコ悪い生活とみなされるようになるだろう。自分にある固有の楽しみをもつ、ゆとりのある生活こそ普通になり、むしろカッコ良いものになっていくだろう。
すでに現在でも、大型の車を乗り回すことはカッコ良いことではない。マイカー通勤をやめ、自由勤務時間制を利用し、読書でもしながらゆっとり通勤するのはどうだろうか。残業を減らし、所得が減った分は貴重な自由時間を買ったのだと思って、家庭で団楽を楽しむのはどうだろうか。
ゆとりのある生活というのは、怠けた生活ということではない。他人を追い抜くための猛烈な勉強や仕事は苦痛かもしれないが、自分の好奇心を満たすための自由な学習や、収入は多くなくても性格にあった仕事に熱中することは、充実感があり、楽しいものである。その意味でも勤勉は明らかに美徳の一つである。
筆者は「人々は、……幸福を判断する」と言っているが、その原因は何か。
文中の( ア )に入れるのにもっとも適切なものはどれか。
文中「自分らしい本当の幸福」とは何か。
文中の「ゆとりのある生活」とはどんな生活か。
筆者はどのような生活が望ましいと考えているか。