毎日の食事の心配をし ないで暮ら すのがいかに極楽であるか。 献立がいかに老人の好みと 栄養を考えてつく ら れているか。 看護婦さ んがいかに行き 届いてやさ し いか。 テレ ビのレ ポーターにも 負けぬ生き 生き と し た報告であった。 無理をし て自分を励ま し ていると こ ろがあっ た。
三日目あたり から 、 報告は急激に威勢が悪く 、 時間も 短く なっ てき た。 四日追い込みにかかっ ていた仕事に区切り をつけ、 私が一週間目に見舞っ たとき 、 母はひと ま わり も 小さ く なっ た顔で、 ベッ ドに座っ ていた。 こ の日は、遠く に住んでいる妹も ま じ えて、 姉弟四人の顔がそろっ たのだが、 つら いのは帰り 際であっ た。 私が弟の腕時計に目を走ら せ、 「ではそろそろ」 と 言おう かなと ためら っ ていると 、 一瞬早く 母が先手を打つ(抢先) のである。「さ あ、 お母さ んも 横になら なく ちや。 」目から はその電話も なく なっ た。
晴れやかな声で言う と 思いき り よ く 立ち上がり 、 見舞いにも ら っ た花や果物の分配を始める。 押し 問答の末、 結局、 私たちは持っ てき た見舞いの包みより 大き い包みを持たさ れて追っ 払われるのであっ た。
「見舞いの来ない患者も いるのに、 こ う やっ てぞろぞろ来ら れたんじ やお母さ んき ま り が悪いから 当分は来ないでおく れ。 」 と 演説し ながら 、 一番小さな母が四人の先頭に立っ て廊下を歩いてゆく 。 「( ア ) 」 く どいほど念を押し 、 エレ ベーターに私たちを押し 込むと 、 ドアの閉ま り 際に、 「あり がとう ございま し た。 」
今ま でのぞんざいな口調と は別人のよ う に改ま っ て、 深々 と し たお辞儀をするのである。 寝巻の上に妹の手編みの肩掛けをかけて、 白く なっ た頭を下げる母の姿は、 更にも う ひと ま わり 小さ く 見えた。 私は、 「開」 のボタンを押し ても う 一度声をかけたいと いう 衝動を辛う じ て抑えた。
四人の姉弟は黙っ て七階から 一階ま で降り ていっ た。 弟がこ も っ た声で、 ポツンと 言っ た。 「たま んねえ。 」 末の妹が、 「いつも こ う なのよ 。 」 と いう 。 妹は毎日世話に通い、 弟は三日に一度ずつのぞいているが、 母は必ずエレ ベーターま で送っ てき て、 こ う やっ て頭を下げる。 し かも 弟に言わせると 、 「人数によ っ て角度が違う 。 」 と いう のである。 「今日は全員そろっ てたから 一番丁寧だっ たよ 。 」 お母さ んら し いやと 私たちは大笑いし ながら 、涙ぐんでいる(含泪) お互いの顔を見ないよ う にし て駐車場へ歩いていった。