おもしろさの発見
感情移入的思考の強い日本社会では、ニュース、事件、楽屋話などのように人事に関 するものでないとおもしろくない、堅苦しいものであると感じられる。おもしろいのは 人間と人間の係わり合いを、直接に生々しく伝えたものだという信仰がある。多くの日 本人がその信者であるから、多数の読者を獲得しようとするジャーナリズムは競って① ゴシップ(注1)という餌をあさって、読者の前にバラまく。読者の方は予想のとおり、それ に夢中になってしまう。こういう循環がっづいている間は、どんなに低俗週刊誌を攻撃 してみても猥雑な表現は一向になくならない。②だいいちそれを批判しているっもりの 批評にしても、別種のゴシップ趣味を売りものにしていないとは断言できないのであ る。人間的興味を食いものにしているという点では③同じ穴のムジナである。
しかし、④人間らしい話のおもしろさだけを重視した時代の歴史もそろそろ終わりに 近づいている。新しい幾何学的思考の魅力に対する関心が芽生えようとしているからで ある。社会でもすぐれたアイディアの必要をやかましく言うようになった。 日常生活で もかなり⑤筋道のとおった言葉のやり取りが多くなっている。一般の人に数学が何かお もしろそうだと感じられるようになってきたのは、中でももっとも大きな変化であ ろぅ。
妙な見方かもしれないが、先年の大学紛争の原因のひとっは、感情移入的思考になれ ている古い世代と、抽象的、観念的思考に魅力を感じている若い世代との間の摩擦で あったとも言えるのではなかろうか。学生が立て看板に書いた文章は従来の感覚からす ればまさに悪文の見本のようなものであったが、抽象的思考という立場から見るなら ば、新しい美学が稚拙な形ではあろうが、⑥そこに存在していることを認めることがで きる。
(中略)
いまの若い者は などという批判をするヒマがあったら、エロ、グロ、ゴシップ、 ギャンブル以外に興味の対象を持っていない“おとな”の世界の貧しさを自ら反省した 方がよい。純粋思考のおもしろさ、論理の美しさ、理想の快感などが一般社会において 常識になれば、われわれの精神生活は⑦どれほど豊かになるかしれない。興味の拡大は 形式的ないまの教育が量的な膨張にかまけて忘れている大きな問題である。そして、一般大衆の間で徐々にその胎動が起こりつつあるのである。
知的興味を行うのには、ヒューマン(諧謔)のおもしろさに注意することから始めるの がもっとも現実的な方法であろう。言葉の遊びによるおもしろさが知られていなかった わけではないが、わが国には上品な笑いの伝統が弱い。考え方を切り換え、⑧具体的状 況から解脱して、そこに知的な笑いの世界を発見するというヒューマンの感覚に欠けて いる。
感情移入的思考がウエット(注2)なおもしろさを作り出すとすれば、ヒューマンのおもし ろさはドライなものである。その⑨乾いた知的なおもしろさを踏み台とすれば、思考に おける抽象的美学へ移って行くことが可能になる。そのさきの目標が数学的世界だとす ると、ヒューマンはさしあたり算数のようなものと言えるであろうか。純粋思考が本当 におもしろくならなければ、学問とか文化と言ってみたところで、空しいものである。 どれほど教育が普及してみても、真の知的興味が根を下ろさなければ、教育の名に値し ないものである。職業教育であり、技術訓練にすぎない。
(外山滋比古『日本語の論理一思考の組み立て』より)
注1 : ゴシップ/うわさ話。
注2 : ウエット/湿ったさま。感傷的なさま。
① ゴシップという餌をあさってとは何の意味か。
【译文】
乐趣的发现
在日本社会,感情移入式的思维很強烈。如果不是诸如新闻、事 件 、内幕消息等的跟别人有关的事情,人 们便会觉得没意思、觉得死板无趣。他们有这样一种信仰,觉得将人与人之间的瓜葛直接地、活灵活现地进 行传达才有意思。因为多数日本人都有这一信仰,所以新闻媒体为获取更多的读者,争相挖掘八卦消息,将 之曝光、散布在读者面前。同他们预想的一祥,读者群体也非常热衷于那些八卦消息。在这样的循环持续期 间 ,再怎么攻击那些低俗的周刊杂志,那些杂乱下流的表达也不会消失不见。本 来 就无法断言,即便原本是 想对那些周刊杂志进行批判的,但这又未尝不是将另外一种八卦作为卖点。都是利用人们对那些闲事的兴 趣 ,从这一点来讲两者属于一丘之絡。
但 是 ,只対人与人之间的闲事感兴趣的时代也即将临近尾声了。因为人们对新的几何学式思维的兴趣 正在萌生。就连这个社会都在不厌其烦地津津乐道好点子的必要性。即使在日常生活中,逻辑性强的语言交 流也变多了。现在普通人都觉得数学似乎有点意思,这大概要数其中最大的变化了吧。
可能算是较为奇特的观点,我认为早些年的大学紛争的原因之一,应该就可以说是已经习惯了感情移 入式思维的上一代人与觉得抽象的、观念性思维有魅力的年轻一代人之间的摩擦吧。学生在学校布告栏上 写的文章,以从前的眼光来看简直就像是坏文章的范本,但以抽象思维的立场来看,尽 管 形 式 稚 嫩 ,但可以 认可文章中已经可以窥见新式美学的端倪。
(中略)
如果有批判“如今的年轻人啊”的工夫的话,不如自己反省一下“成人”世界的贫乏。成人的世界除了色 情 、怪 诞 、八卦消息、赌博之外就别无感兴趣的対象了。纯粹思维的乐趣、逻辑 之 美 、理想的快感等如果能在 一般社会成为常识,那我们的精神生活该变得多么丰富啊。形式主义的当前的教育只顾量的扩张,忘记了一 个很大的问题,那就是扩大兴趣范围。并 且 ,改变的前兆已经在普通大众当中慢慢呈现。
为了开展知性兴趣,从注意幽默的乐趣开始应该是最为现实的方法了。人们并不是不知道语言游戏带 来的乐趣,但在我国讲高雅笑话的传统很弱。转换思维方式,从具体状況中脱离出来,从中发现知性笑话的 世 界 ,人们缺乏的就是这样一种对幽默的感受力。
假设感情移入式思维可以制造出感伤的乐趣,那么幽默的乐趣则是不夹杂感情的。以那样一种理智的 知性的乐趣为基础,就有可能升华为思维中抽象的美学。如果将未来的目标定为数学的世界的话,幽默是否 就可以暂且说成是像算数一样的东西呢 ?如果纯粹思维真的没法变得有趣,那么即使我们谈论学问啊,文化 啊 ,那也是空洞的。无论教育再怎么普及,真正的知性兴趣若是没有扎根,教育终究是徒有虚名。那样的教育 只不过是职业教育,不过是技术培训。
(节选自外山滋比古《日语的逻辑— 思维的构造》)
【解析】文 中 讲 到 日 本 有 一 种 信 仰 お も し ろ い の は 人 間 と 人 間 の 係 わ り 合 い を 、直接に生々しく伝えたものだ”。画线部的“ ІІをあさる”意为“寻找诱饵”,在 文 中 用 于新闻媒体,表示其为吸引 读者而去挖掘新闻、内幕、小道消息,并将之绘声绘色地报道,选 项 D 正 确 。
②だいいちの意味に最も近い単語は次のどれか。
“だいいち”在此为副词,意为“首 先 ,最根本的”。选 项 D “そもそも”意为“本 来 ,原来”,正 确 。
选 项 A ,“もちろん”意为“当然,不言而喻”。
选 项 B,“一番目(まず)”意为“第一个 ;首先”。
选 项 C,“とはいえ”意为“虽说如此,然而”。
③ 同じ穴のムジナとは何の意味か。
“同じ穴のムジナ”意为“一丘之貉,狐群狗党”,指聚在一起的不好的同类,选 项 В 正 确 。文中具 体指的是,有人想批判低俗的周刊杂志,但又无法断言这种行为不会成为另一种炒作,从利用人 们的兴趣这一点来讲两者就成了一丘之絡。
④人間らしい話とはどんな話か。
“人間らしい話”指的是新闻媒体所报道的人与人之间的闲事,选 项 В 正 确 。
选 项 А 、С 都可以认为是“ある種のゴシップ”,但在文中“人間らしい話”的所指与“ゴシップ”不 一 祥 ,所 以 选 项 A 、C、D 错 误 。
⑤筋道のとおった言葉とはどんな言葉か。
“筋道がとおる”意为“合乎逻辑,合情合 理 ”,选 项 C 中“論 理 的 で つ じ つ ま の 合 う ”同样表示 “合乎逻辑”,表意一致,正确。
选 项 A ,“正確で間違いのない”意为“正确无误”。
选 项 B,“正しく理解されやすい”意为“容易被正确理解”。
选 项 D ,“状況に応じて使い分けている”意为“根据状况区分使用”。
⑥そこは何を指しているか。
“そこ”所在句的语序可以调整为— “...抽象的思考という立場から見るならば、稚拙な形で はあろうが、新しい美学がそこに存在していることを認めることができる”,因此“そこ”具 体指代的是学生们写的文章,而 文 章 中 正 体 现 了 “若 い 世 代 (学 生 た ち )の 抽 象 的 、観念的思 考”,选 项 D 正 确 。
⑦ どれほど豊かになるかしれないとは筆者のどんな気持ちを表しているか。
“どれほど 〜かしれない”多用于感叹,意为“不知道该有多么……啊”,原文要表达的意思是“我 们的精神生活该变得多么丰富啊”,言下之意是“如果前项条件成立,我们的精神生活一定会变 得非常丰富”,选 项 C 符合文义,正确。
⑧具体的状況から解脱してとあるが、ここの具体的状況とは何を指しているのか。
画线部的“具体的な状況”即指前文中的“「わが国には上品な笑いの伝統が弱い」という状況”, 选 项 А 正 确 。
⑨乾いた知的なおもしろさとはどんなものか。
第 6段第一句讲到,“感 情 移 入 的 思 考 ”产生的是“ウニットなおもしろさ”,与 此 相 対 ,“ヒューマ ンのおもしろさ”是“ドライなおもしろさ”,而这种“ドライなおもしろさ”产生干“抽 象 的 、観 念的思考”,选 项 В 正 确 。此处的“乾いた”意为“不夹杂感情色彩的,理性的”。
本文で述べられた内容に合っているものは次のどれか。
文章以“ジャーナリズム”存在的问 题 为 切 入 点 ,后半部分则进入了対“教育”问题的探讨。文章 最后 1段出现了关键句“純粋思考が本当におもしろくならなければ、学問とか文化と言って みたところで、空しいものである。 どれほど教育が普及してみても、真の知的興味が根を下ろさなければ、教育の名に値しないものである”,选 项 D 正确。
选 项 A ,主要是对文章开头部分的概括,且“幾何学的な思考に対する関心を高めることが必要 である”的观点文中并未提及,错误。
选 项 B,作者在第 4段中讲到“… ‘おとな’の世界の貧しさを自ら反省した方がよい”,但作者 并未讲两代人之间产生摩擦的原因是因为成年人不对自身世界的贫乏进行反省,错 误 。文中的 “先 年 の 大学紛争”只是一个具体事例。
选 项 C,文章第 5段中讲到“わが国には上品な笑いの伝統が弱い”,但并未讲到“知的抽象的思 考に魅力を感じる伝統が弱い”。