生老病死の最後の死ぬと こ ろですが、 こ れも 都会ではも う 90%、 いや 99%の人が病院で亡く なり ま す。 私の母は自宅で死にま し たが、 大半の人々 は病院で死にま す。 こ のよ う に死ぬ場所が病院に移っ たのはこ こ 25 年の傾向で、 急速にそう なり ま し た。
生老病死の最後の死ぬと こ ろですが、 こ れも 都会ではも う 90%、 いや 99%の人が病院で亡く なり ま す。 私の母は自宅で死にま し たが、 大半の人々 は病院で死にま す。 こ のよ う に死ぬ場所が病院に移っ たのはこ こ 25 年の傾向で、 急速にそう なり ま し た。
では、 自宅で亡く なるこ と と 、 病院で亡く なるこ と の違いは何か。 こ れは、我々 が普通に暮ら し ている日常の中に、 死がなく なっ てし ま っ たと いう こ となのです。 だから 、 死が特別なこ と になり ま し た。 そし て特別なこ と は特別な場所で起こ るこ と になっ たのです。
そんな現代は、 よ く よ く 考えてみると 、 大変な異常事態なのです。 生老病死と いう のは、 人の本来の姿です。 こ っ ちが先で、 何千年何万年も 続いてき た間違いのないこ と なのです。 都市よ り も 文明よ り も 何よ り も 先に生老病死があり ま し た。 だから 私はこ れを「自然」 と 呼ぶのです。 人の一生は好き も 嫌いも なく 時期経過と と も に変化し ていき ま す。 それが自然の姿なのだと 私は思いま す。 なのに今は自然つま り 本来の姿であるほう が異常になっ てし ま いま し た。
こ の上なく 大切な未来を大切にし ていない典型的な例をあげてみま す。 私は95 年 3 月 に大学をやめま し た。 正式には 94 年 9 月 の教授会でやめるこ と が決ま り ま し た。 教授会のあと 同僚の病院の先生が来ら れて、 「先生、 4 月 から どう なさ いま すか」 と 話さ れるのです。 「3 月 でおやめになるそう ですね」 「やめま す」 「4 月 から どう さ れるのですか」 。 こ れは、 勤めはどう するのですかと いう 質問です。 私は「私は学生の時から 大学の医学部し か行ったこ と がないので、 やめたら 自分がどんな気分になるかわかり ま せん」 と 申し 上げま し た。 「やめてから 先のこ と はやめてから 考えま す」 と 。 すると いき なり 「そんなこ と で、 よ く 不安になり ま せんな」 と 言う のです。 思わず「先生も 何かの病気でいっ かお亡く なり になるはずですが、 いつ何の病気でお亡く なり になるか教えてく ださ い J と 言い返し てし ま いま し た。 「そんなこ と 、 わかるわけないでし よ う 」 と 言う から 、 「それでよ く 不安になり ま せんな」 と 申し 上げま し た。
こ こ ではっ き り わかるこ と があり ま す。 特に大学のお医者さ んです。 大学病院では患者さ んがよ く 亡く なるので、 人が死ぬと いう こ と が、 自分の仕事の中にちゃ んと 入っ ていま す。 と こ ろがそう いう お医者さ んが、 自分が死ぬという こ と に現実感を持っ ていない。 自分が病気になっ て死ぬこ と よ り は、 勤めをやめたり やめなかっ たり する、 そのこ と のほう がよ ほど重要なこ と だと思っ ているのです。