われわれを取り巻く環境について知識を得る日常の仕事は経験である。われわれはま ず経験によって知るのであって、経験は知識の重要な源である。だが経験を単に知識の 問題と見ることは種々の誤解に導きやすく、それによっては経験的知識の本質も完全に 理解されないであろう。経験を唯一の基礎とすると主張する経験論の哲学が、経験を心 理的なもの、主観的なものと考えたのも、①それに関連している。知識の立場において は、経験の主体すなわち知るものは心あるいは意識であって、経験はそこに生じ、そこ に現れるものと考えられるであろう。しかしながら現実においては、経験は何よりも主 体と環境との②行為的交渉として現れる。経験するとは自己が世界において物に出会う ことであり、世界における一つの出来事である。経験はもともと行為的なものであり、 経験によって知るというのも行為的に知ることである。経験するとは自己が環境から働 きかけられることであって、経験において自己は受動的であるといわれるであろう。経 験論の哲学が感覚や印象などを基礎とするのも、そのためである。このように③受動的 状態を重んじるのは、対象を自己に対して働かせようとするものであって、経験論の動 機も実証的あるいは客観的であろうとするところにある。
しかし、経験はつねに主体に関係付けて理解される。経験は経験するものの経験で あって、経験する主体を離れて経験はない。経験を主観的なものとした経験論は、この 主体を単なる意識と考えることによって経験を心理的なものとしたばかりでなく、さら にその意識を単なる受動的なものと考えた。しかも実は、単に受動的であっては客観性 に達することも不可能であったのである。経験は主体と環境との関係として行為の立場 から捉えられねばならない。④行為である以上、環境から規定されると同時に環境に働 きかけてもいる。われわれの行為はただある意味においてのみ環境の刺激によって惹き 起こされるに過ぎず、一方、それがわれわれの活動を惹き起こす環境を作り出すことを 助けるのである。刺激によって生ずる反応は同時に刺激を変化する。このように、経験 する主体は単なる環境に対して反応するのでなく、むしろ⑤環境プラス主体に対して反 応するのであり、客観的状況といわれるものも実は単に客観的でなく、同時に主観的で ある。
われわれは経験によって環境に適応していく。環境に対するわれわれの適応は「試みと過ち」の過程を通じて行われる。この試みと過ちの過程が経験というものである。経 験するというのは単に受動的な態度でなく、試みては過ち、過っては試みるという経験 過程のことである。経験という言葉は何か過去のもの、すでに行われたこと、先例に対 する引き合わせなどと理解されやすい。⑥経験論の哲学も経験を「与えられた」もののよ うに考えた。しかし経験は試みることとして未来に関係付けられている。試みるという のは自主的に、予見的に行うことであって、このような経験には知性が、その自発性が 予想される。⑦ 自発的な知性がそこに働くのでなければ、主体的に試みるということは ない。経験は試みることとして直接的でなく、すでに判断的であり、推論的であるとさ え言い得るであろう。過つことによってわれわれの知識は本能のように⑧直接的なもの でなく反省を経たものになってくる。このように、経験は試みと過ちの過程を経て、主 体と客体とが相互に否定しあう関係を形成し、対立の統一として⑨経験的知識は成立す るのである。
(三木清『哲学入門』岩波書店より、書き換えあり)
①それは何を指しているのか。
【译文】
获取与我们周围环境相关的知识的日常工作就是经验。我们首先是通过经验获取知识的,经验是知识 的重要源泉。但将经验仅仅看作知识的问题容易引发各种误解,由此也就无法完全理解经验性知识的本质 了吧。主张将经验作为唯一的基础的经验论哲学,之所以认为经验是心理性的、主观上的东西,也与此有关。 站在知识的立场,或许会认为经验的主体就是心或是意识,经验由此诞生也以此体现。然 而 在 现 实 当 中 ,经 验最主要的表现形式是主体与环境的行为性联系。所谓经验就是自己在世界上遇到事物,这是在世界上发 生的一件事情。经验原本就是行为性的,通过经验得知也就是通过行为得知。经验被说成是环境作用于自 身 ,在经验中自身是处于被动的。经验论哲学之所以将感觉和印象等作为基础同样是出于这个原因。像这样 重视被动的状态,让对象(环境)作用于自身,是想将经验论的动机作为实证性或是客观的吧。
然 而 ,人们对于经验的理解总是与主体相联系。经验是经历者的经验,离开了经验的主体经验就无从谈 起 。经验论将经验看作主观的,认为经验的主体仅仅是意识,从而认为经验是心理性的内容。不仅如此,还进 一歩认为那种意识是单纯的、被动的东西。而且事实上,如果是单纯被动的,也就不可能做到客观。必须将经 验作为主体与环境之间的相互作用,从行为的立场来把握。既然属于行为,那么在受到环境限制的同时也作用于环境。我们的行为只不过是在某些意义上由环境的刺激而引起的,另一方面,我们的行为又帮助创造出 激发我们的活动的环境。由刺激引起的反应同时引起刺激的变化。就像这样,经验的主体并不只是对环境产 生反应,反而是对环境以及主体产生反应。(经验论哲学 )所认为的客观状况实际上也不仅仅是客观的,同时 也是主观的。
我们通过经验来逐渐适应环境。我们对环境的适应是通过“尝试与失败”的过程来进行的。我们将这一 尝试与失败的过程称为经验。所谓经验并不单单是被动的态度,而 是尝试后失败、失败后再尝试的经历过 程 。经验这个用词容易被理解成某个过去的事物、已经进行了的事情、参照先例等。经验论哲学也将经验看 作“被赋予”的事物。但 是 ,经验是作为一种尝试与未来产生关联的。这种尝试是自主地、有预见性地进行的 行 为 ,可以预想这样的经验中包含了知性与其自发性。如果没有自发的知性对经验起作用,就不可能实现主 体性的尝试。经验作为一种尝试并不是直接的,而甚至可以说已经是具有判断性、推论性的事物。通过经历 失 败 ,我们的知识就不再是本能般的、直接性的事物,而变成经过了反省的事物。因此,经验经历了尝试与失 败的过程,形成主体与客体间相互否定的关系,经验性知识作为対立的统一得以成立。
(节选自三木清《哲学入门》岩波书店,部分改写)
【文章结构介绍】
テーマ:経験的知識の本質
| 段落 | 「経験論の哲学」の考え | 作者の考え |
| 第 1段落 (経験の主体) | •経験は心理的なもの、主観的なも のである •経 験 の 主 体 は 心 あ る い は 意 識 で ある |
経験は主体と環境との行為的交渉として現 れる |
| 第2段落 (主張 1) | 経 験 は 心 理 的 な も の 、主観的なも の 、受動的なものである | 経験は受動的であると同時に能動的である |
| 第3段落 (主張2) | 経験は「与えられた」ものである | •経験は試みと過ちの過程である •経験には未来に関係する、自発的な知性が 働く •経験的知識の本質は、試みと過ちの過程を 経 て 、主体と客体とが否定しあう関係を形 成 し 、対 立 の 統 一 と し て 成 立 す る も の で ある |
【解析】作者在前一句中指出“経験を単に知識の問題と見ること”这种错误的认识容易引发各种误解, 由此导致无法完全理解经验性知识的本质。经验论哲学将经验视作心理性的、主观上的内容也 与“未完全理解经验性知识的本质”这一点有关,选 项 В 正确。
选 项 А ,文章第一句中讲到“…知識を得る日常の仕事は経験である”,換 言 之 ,“経験は知識を 得る日常の仕事である”。因此“経験は日常の仕事を通じて得ている”的说法错误。
选 项 С,第 1段中讲到经验论认为“経験の主体は心あるいは意識である”,因此“経験する主体 の心や意識”的说法错误。
选 项 D ,第 1段中讲到“経 験 は 知 識 の 重 要 な 源 で あ る ”,但没有讲到“経験は本人の知識の重 要な源である”。
ここに言う②行為的交渉とはどんな意味であるか。
作者在后一句中讲到“経験するとは自己が世界において物に出会うこと”,作者认为经验表现 为主体与环境在行为上相互联系、相互作用,要体现两者之间的相互关系,只 有 选 项 А 正 确 。
経験論の哲学が③受動的状態を重んじる理由を正しく説明しているものはどれか。
第 1段末尾写道“このように受動的状態を重んじるのは、対 象 を _ 己に対して働かせようと するものであって、経験論の動機も実証的あるいは客観的であろうとするところにある”。 这句话告诉我们,经验论之所以重视被动的状态,是想让对象对自己起作用,使得经验论的动机 变得客观。经验论哲学认为经验是主观的,但产生经验这个事实是客观的。选 项 В,经验如果不 是处于被动的状态的经验,就无法成为客观的事物,与文中表意一致,正确。
选 项 А ,“経験する主体が能動的にすることをできるだけ排除する”在文中并未提及。
选 项 С,经验论哲学之所以重视这种“受動的状態”,是想让対象(环境)作用 于 自 己 ,使经验论的 动机变得客观。因此“本来受動的なものだから”不是真正原因。
选 项 D ,同 选 项 С,未解释“受動的状態を重んじる”的真正原因。
④行為である以上の意味を最も正しく説明している言葉は次のどれか。
“〜以 上 ”意为“既然……”,“〜か ら に は ”有类似 的 用 法 ,选 项 D 正 确 。“行為 で あ る 以 上 ”意为 “既然是行为”。
选 项 А ,“行為であればこそ”意为“正因为是行为”。
选 项 В,“行為であればあるほど”意为“越是行为越……”。
选 项 С,“行為であるかぎり”意为“只要是行为”。
⑤環境プラス主体に対して反応するとはどういう意味か。
作者认为必须将经验作为主体与环境之间的关系,从行为的立场来进行把握。作 者 指 出 ,环境的 刺激会对我们的行为产生作用,另一方面,我们的行为也会作用于环境。由刺激带来的反应同时 又会引起刺激的变化,因此作者总结说经验的主体不仅是对环境产生反应,还对环境和主体产 生反 应 ,选 项 С 正确。
选 项 А ,“主体が意思をもって積極的に反応する”错 误 。
选 项 В,前后之间的因果关系不成立。
选 项 D ,“環境とは客観的状況”错 误 。
⑥経験論の哲学も経験を「与えられた」もののように考えた。しかし経験は試みるこ ととして未来に関係付けられているとあるが、その解釈として最も適切なものはど れか。
画线部是经验论哲学的观点与作者的观点之间的比较,选 项 С 中的“受 動 的 に 受け入れる”与 “与えられた”对 应 ,同样表达“被动地接受”的含义。“発展的に作り出す”对应“未来に関係付け られている”,因为是与未来相关联的,所以可以认为是“発展的”的 ,选 项 С 正 确 。
⑦ 自発的な知性を内容規定的に説明しているものは次のどれか。
文章第 3段中讲到“試みるというのは自主的に、予見的に行うことであって、このような経験 には知性が、その _発 性 が 予 想 さ れ る ”,选 项 D 正确。
选 项 А ,“積極的”在文中未提及。
选 项 В,“主体的”“自主的”表达的意思雷同,且未体现“予見的”,错 误 。
选 项 С,“経験的”错 误 。
⑧直接的なものとは何を指しているのか。
画线部“直接的なもの”应该是与后面的“反省を経たもの”相 対 的 ,类似于“本能的なもの”,相 当于“不会去尝试,也不会犯错”的事物。四个选项中最符合題意的是选项В。
⑨経験的知識とは何であろうか。
我们常将经验理解为过去的东西、参照先例的东西,经验论哲学也将经验看作“「与えられた」も の”,作者对此持否定观点,认为“経験的知識”是经过了“尝试与失败”的过程的,且这种尝试为“主体性尝试”,因为“自発的な知性”在经验中起作用,“主体性尝试”才 得 以 成 立 ,綜 合 考 虑 ,选 项 D 正确。
选 项 A ,“客観的な知識”错误。
选 项 B,讲述的是经验主体与环境之间的关系,不是対“経験的知識”的正确理解。
选 项 C,“主体経験に基づく知識”错 误 。
この文章で述べる内容を正しく説明しているものは次のどれか。
作者在第 1段中讲到“…経験は何よりも主体と環境との行為的交渉として現れる”,第 2段中作 者又讲到“行為である以上、環境から規定されると同時に環境に働きかけてもいる”,由此得 出 选 项 В 正确。
选 项 А ,“それによって経験の客観性の獲得に成功している”错 误 。经验论哲学并没有认为经 验是客观的,而认为经验是心理性的、主观的、被动的。他们认为经验的动机是客观的。
选 项 С,第一句话正确,第二句错误,应改为“経験とは受動的なものであると同時に、能動的な ものでもある”。
选 项 D ,“経験者が環境に受動的に反応するものでなく”错 误 ,应改为“経験者が環境に受動的 に反応するだけでなく”。作者认为经验拥有被动的一面的同时也有主动的一面,经验的主体也 会被动地对环境产生反应,而不能只将其看作主体自发性的尝试。