満員電車で、乗客たちの行動を見ていて気がついたことがある。それは、このおびただしい数の、押しつぶされた人間たちが、例外なしに無表情で、しかも無言だ、という事実である。みんな、むっつりと黙って、つまらなそうな顔をしている。もとより、満員電車に乗っているということは、あんまり愉快な経験であろうはずがなく、この何千何万の通勤者たちが、いわしのかん詰のごとくにつぶされ、なおかつ、にこにこおしゃべりをしているとするなら、それこそ不気味というべきであろう。無表情、無言、ということこそ、こうした場合の人間性なのである。
だが、その無表情、無言も程度の問題だ、とわたしは思う。とりわけ、満員電車から降りるときに、無言で人を押しのけ、ドアに向かって移動する人々にぶつかると、なんとなく、変な気持ちになる。それは、あたかも人間のかたまりの真ん中を貫通して、巨大なモグラが動いているような感じなのだ。押しのけるほうも、押しのけられるほうも、ひたすら無言。それがわたしには不思議なのである。
无在拥挤的电车里,看着周围的乘客我注意到一个现象。那就是,电车里摩肩接踵的人们,无一例外全都面无表情,沉默不语。大家都一言不发,顶着乏味的一张脸。乘坐拥挤的电车本身就不是多愉快的体验,况且这成千上万的上班族,像罐头里的沙丁鱼一般你挤我我挤你的,要是能在这种环境中面带微笑喋喋不休的话才叫人诧异呢?面无表情,沉默不语才是此时该有的人性。
但是,即便如此,我觉得也该有个度。特别是下车的时候,一言不发的挤开周围的人,向着车门方向移动。如果被这些人撞着了,总有种奇怪的感觉。下车的人像是从人群正中穿过的巨大鼹鼠一般。无论是挤人的还是被挤的,只管一言不发。这才是让我觉得不可思议的。