阅读理解次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは選 択肢A、B、C、Dからもっとも適切なめを1つ選びなさい。[四]美しい言葉とか正しい言葉とか言われるが、単独に取り出して美しい言葉とか正し い言葉とかいうものはどこにもありはしない。それは、言葉というものの本質が、口 先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界をいや 応なしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一 つ一つに反映してしまうからである。そのことに関連して、これは実は人間世界だけ のことではなく、自然界の現象にそういうこともあるのではないか、ということにつ いて語っておきたい。京都の嵯峨に住む染色家志村ふくみさんの仕事場で話していた時、志村さんがなん とも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは、淡いよう でいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、華やかでしかも深く落ち着いている色 だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。「この色は何から取り出 したんですか。」「桜からです。」と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすで に桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮か ら取り出した色なのだった。あの黒っぽいゴツゴツした桜の皮からこの美しいピンク の色が取れるのだと言う。志村さんは続けてこう教えてくれた。この桜色は、一年中 どの季節でも取れるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、桜の皮をもらってきて 染めると、まるで絵のような色が取り出せるのだという。私はその話を聞いて、体が一瞬揺らぐような不思議な感じに襲われた。春先、もう 間もなく花となって咲かそうとしている桜の木が、花びらだけではなく、木全体で懸 命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裏に揺らめいたからで ある。花びらのピンクは、幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクで あった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、 ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の活動の神髄が春という時節の花 びらというーつの現象になるにすぎないのだった。( ア )我々の限られた視野の中では、桜の花のピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全 身の花として見せてくれると、はっと驚く。このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという 気がする。言葉の一語一語は、桜の花びら一枚一枚だといっていい。一見したところ 全然別の色をしているが、しかし本当は全身でその花びらの生している大きな幹、そ れを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。そういうことを念頭に 置きながら言葉というものを考えるという必要があるのではなかろうか。そういう態 度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささ やかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。それが「言葉の力」 の端的な証明でもあろうと私には思われる。
阅读理解次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは選 択肢A、B、C、Dからもっとも適切なめを1っ選びなさい。[三]今年は海外で年末年始をすごした。そこには紅白歌合戦もなければ、大晦日の夜の鐘の音も聞こえてこなかった。そこで、今回は日本と欧米との年の区切りのちがいば かりが、気になった。そのもっとも大きかったことは、日本の年末年始が、大晦日に大きな意織があって、 新年は、どちらかというと、次のものであることだった。日本人は年末年始が近づくと忘年会をやる。過去を捨てようと、一生懸命である。 また大晦日の終曲は、まだまだ紅白歌合戦である。何しろ、出場できなかった女歌手 が、人気回復に特別な写真集を出すほどらしい。そんな記事を週刊誌で読んだ。そして大晦日の夜の鐘の音。この喑い感じは、どうも好きになれない。ところが今回年末をすごした所では、新年を迎えて、海上の空に花火が打ち上げら れた。まあまあの豪華さだった。つづいて爆竹。これも長い時間鳴りやまなかった。もちろん世界各地、海外といったって同じではあるまい。爆竹は中国の旧暦の区切 り、いわゆる春節ではそれはそれは大変で、毎年けが人が出る。むかし北京で春節を 迎えた時の騒ぎは、今でも忘れられない。また大晦日のカウントダウン(倒计时)は欧米にもある。とくにヨーロッパの田舎では 12時のキスは、今でもあるらしい。しかしそれにしても、欧米では忘年会にあたる英語はないし、クリスマスの飾りは クリスマスが済んでもそのままお正月に入るから、街の風景は変らない。それでこそ 欧米人から来るカードに「クリスマス、おめでとうございます!新年、おめでとうご ざいます!」と書いてあることも納得できる。やはり重点の置き方はヨーロッパとアジアで違い、さらに中国と日本でも違って、 日本はいちばん、ゆく年に重きがあるように思える。一年間の反省や勘定の清算も大いに結構だが、どちらかといえば、もっと前向きに 年のあらたまったことの方を大事にしたいと思うが、どうであろう。とくに近ごろ、日本人は景気が悪くて元気が出ない。そんな時は忘年会をやめて新 年会だけにしよう。お釈迦さま(佛祖)にお許しいただいて、大晦日の夜の鐘を適当にして新春の餅をつこ う。紅白歌合戦は「明けましておめでとう」を強調したものを、年が明けてからやろ うではないか。そして新年の日の出や初詣出(新年初次参拜)に出かけもするし、テレビやラジオも、 熱心にそれを放送してほしい。これが私の新年の夢である。
阅读理解[ニ] ト ルスト イ が人間が自然をどんなに虐げ、 踏み躏ろう と 、 春はやはり春だと 言っ ているが、 極端な言い方をすれば、 緑の木の葉一枚も 見ら れぬ石畳の中に生活をし ても 、 四季によ っ て強さ をかえる太陽の存在を意識するのが、 すでに自然を感じ るこ と であろう 。熱帯の砂漠や寒帯の氷原に住む人のこ と は知ら ないが、 少なく も 温帯の四季の変化の中で暮ら す者は、 こ の大き な自然のリ ズム をすべての生活と 思想の基礎と するはずである。農業は我々 の生活を一年のリ ズム に結びつけた決定的な文明の段階だろうが、 も う 少し 象徴的に考えれば、 太陽から 生ま れた生物である僕ら の一生もま た開花の春、 実り と 凋落の秋、 盛んな生育の夏、 すべてが枯れはてる冬などに分けら れるだろう 。 自然は僕ら の外にある観賞の対象ではなく 、 僕ら の内にあるも ので、 僕ら にと っ て幸福と は自分の存在がこ の内なる自然に一致するこ と も 考えら れる。僕ら が自然の美に接し た時、 心を動かさ れるのも 、 僕ら にと っ て単にそれが外界でなく 、 いわば内面の象徴であるこ と を、 無意識の親和感と し て感じ るから かも し れない。昔の人は、 恐ら く 西洋でも 東洋でも 、 人間を一つの小宇宙と 考え、 それと 大宇宙と の照応関係を、 すべて思索のも と と し たので、 宇宙の空間が精神に満ちていると 同様に、 人間の内面も ま た宇宙の空間に照応するこ と を、 自明のこ と と 信じ ていた。こ の二つをはっ き り 区別し 、 人間の精神と 空間の延長、 要するに内面と 外界と ははっ き り 性質の異なっ た別物と 考え、 前者にと っ て後者はあく ま で認識の対象にほかなら ない、 と し たのが近代人の思想の根底であろう 。自然と の連帯と 照応を打ち切り 、 こ の見るも のと 見ら れるも のと の対立で、観察者の能力を無限と 信じ たと こ ろに、 近代人の自惚れがあっ たのではないだろう か。自然の征服が、 結果と し て自然から の逸脱になっ たこ と が明ら かになっ た現代に、 こ のよ う な自然科学の錯覚を持ち続ける人は少ないだろう が、 こ の考えの基礎になっ ている、 自然と 精神の分離と いう 思想は、 ま だ根深く 残っ ていると 思われる。し かし 、 太陽や月 が我々 人間のために存在するのだと いう よ う な考えはと もかく と し て少なく も 地球上の生物、 特に数億年の進化発展をと げた樹木や動物を、 僕ら の生命の仲間と 考えるのは決し て不自然ではないだろう 。 彼ら の生命のリ ズム と 僕ら のそれと は、 き っ と どこ か深いと こ ろでつながっ ているので、 だから 彼ら は時々 僕ら に呼びかけるのである。四季の環は一年で完了するが、 その環がま た 60 か 70 ま われば、 僕ら の生の環も 完了する、 そう 考えると 四季の変化も ま た別種の趣き をおびて僕ら の目に映る。
阅读理解次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは選 択肢A、B、C、Dからもっとも適切なめを1っ選びなさい。[三]今年もたくさんの人々がゴールデンウィークを海外で過ごす。初めて海外旅行を経 験する若者も大勢いるだろう。私たちの若いころには考えられなかったことだが、彼 らは実に自由に、気楽な気分で荷物も手軽にして、日本を飛び立っていく。今の若者 をうらやましく思う。頭が柔軟な若い時代に(ア)こそ、異文化と触れ合い、楽 しみながら多くのことが吸収できるというものだ。ただ一つ、老婆心ながら言わせてもらえば、ぜひ異国の文化や価値観を吸収して 帰ってきてほしい。有名な観光地を巡るのもいい。ショッピングを楽しむのもいいだ ろう。しかし、そればかりでは心の肥料にはならない。様々な価値観に触れ、それら を自分の中で消化してこそ、海外旅行経験は大きな財産となる。たとえばマナー一つをとってみてもそうだ。特に欧米社会では老人に席を譲ったり、 あるいは女性の荷物を男性が持ってあげたりというのは、ごく当たり前の行為である。 こうしたマナーが社会的に定着している。この考え方や精神を、ぜひ多くの若者たちが日本に持ち帰ってほしい。その積み重 ねが住みやすい社会を育てるのではないだろうか。ブランド品よりも何よりも、価値 のある土産であることは間違いない。世界がネットワークで一つに結ばれる日はそう遠くはない。そのためにコンピューター産業などでは、グローバルスタンダード ( 全球标准 ) を作る方向に向いている。恐 らく様々な産業の中にも、この世界統一基準が生まれてくるだろう。しかし物やシステムにばかり目を向けるのではなく、心やマナーのグローバルスタン ダードを築いていくべきだ。システムが通じるよりも、( イ )の方がより大切である。言葉や文化は違っても、人間の中核の部分で共通するものは何か。その何かを探す ために、海外へと飛び立ってほしい。
阅读理解次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは選 択肢A、B、C、Dからもっとも適切なめを1っ選びなさい。[一]わたしはこれまで、人間についで頭がいいのはチンパンジーだと思っていましたが、 イルカ(海豚)はチンパンジーとは段違いに優秀なのだそうです。そして、わたしたちがチンパンジーを高等動物とみなすのは、その形態が人間に近 いからなのですね。なんという自己中心!すべての動物は人間にどれだけ近いかによ って優秀の順位が決まると、最初から思い込んで疑わなかった。これはイルカに対し てまことに失礼なことであったと反省したことでしたすると、たとえば、音楽を聞かせたら、植物の育ちがよかったり、いい花を咲かせ た、という話も、ほんとうだろうという気がしてきます。枝を切ろうとしてハサミを 手にその木へ近づいていくのと、水をやろうとジョウロ(喷壶)を持って近づくとでは、 木はまるで別の反応の仕方をするのであって、ただそれが人間には見えないだけなの かもしれない。人間はものを見るのに目を使い、聞くのは耳で、嗅ぐのは鼻です。(ア)、たと えば魚に対すると、魚の耳はどこだと考え、メクラウオのように、目が退化して形だ け残っている種類を見ると、びっくりしたりします。もっとも、人類はそれほど自己中心的で、かつ攻撃性を備えていたからこそ、地球 という星で、こんなに栄えたというか、蔓延ったわけでしょう。というのも、地上は 酸素はたくさんあるけれど、食物を手に入れるのが海の中とは比べ物にならないくら い困難で厳しいので、地上の生物たちは、そのための大変な努力をしながら今日に至 った。そして人類は、今のところそれに勝ったのだと言えます。その点、イルカは5千万年ほど前に、やはり海の中がいいからと、海へ帰っていっ たが、海の中は、ほとんどといっていいほど敵はいなくて、口を開けて泳げば餌がひ とりでに入ってくるから、まず努力しなくていい、毎日遊ぶことが仕事みたいなもの です。もしイルカが努力をしていたら、人類は今みたいに栄えなかっただろうという ことです。よく言われることですが、「地球」という呼び方も、いかにも人間中心的ですね。 「地球」というより「水球」といえ、とイルカたちが主張したら、われわれは言い返 すことができません。表面積からすれば、海はその 70.8%を占めるのですから。
阅读理解次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは選 択肢A、B、C、Dからもっとも適切なめを1っ選びなさい。[四]猫好きの人は誰でも知っているように、 猫は飼主から名を呼ばれた時、 ニャアとな いて返事をするのが面倒くさく、黙ってちょっと尻尾の端を振って見せるのである。 縁側などに蹲って、うっらうつらと日向ぼっこ(晒太阳)を楽しんでいる時などに、試み に名を呼んで見たまえ。人間ならば、うるさい、人がせっかくよい気持に眠りかかっ たところをと、生返事をするか、でなければ狸寝入りをする(装睡)のであるが、猫は必 ずその中間の方法を取り、尾をもって返事をする。それが、体の他の部分はほとんど 動かさず、依然としてうつらうつらしながら、尻尾の末端の方だけを微かに2・3回、 ブルンと振って見せるのである。何にしてもその返事の仕方には一種微妙な表現がこ もっていて、声を出すのは面倒だけども黙っているのもあまり無愛想であるから、ち ょっとこんな方法で挨拶しておこう、と言ったような、そしてまた、呼んでくれるの はありがたいが、実は己は今眠いんだから堪忍してくれないかな、と言ったような、 怠けているような、愛想がいいような複雑な気持が、その簡単な動作によって巧みに 示されるのである。私が何でこんなことを言い出したかというかと、他人は知らず、私は実にしばしば 自分にも尻尾があったらなあと思い、猫を羨ましく感ずる場合にぶつかるからである。 例えば机に向って筆を執っている最中、または思索している時などに、突然家の人が 入って来てあれこれ用事を訴える。すると、私は尻尾がありさえしたら、ちょっと 2・3回端の方を振っておいて、構わず執筆を続けるなり思索に耽るなりするであろ う。それより一層痛切に尾の必要を感ずるのは、訪客の相手をさせられる時である。 客嫌いの私はよほど気の合った同士とか、敬愛している友達とかに久しぶりで会うよ うな場合を除いて、めったに自分の方から喜んで人に面接することはなく、大概いつ もいやいや会うのであるから、用談の時は別として、漫然たる雑談の相手をしている と、10分か15分もすればたまらなく飽きてくる。で、自然こちらは聞き役になって客 が一人でしゃべることになり、私の心はともすると遠く談話の主題から離れて別の方 へ憧れていき、客を全く置き去りにして(弃置不顾)勝手気ままな空想を追いかけたり、 ついさっきまで書いていた創作の世界へ飛んでいったりする。 従って、ときどき「は い」とか「ふん」とか受け答えはしているものの、それがだんだん上の空 ( 心不在焉 ) になり、間が空きすぎたりすることを免れない。時には、ハっとして礼を失していたことに気がつき、気を引き締めてみるのであるが、その努力も長続きがせず、ややも すればすぐまたかけ離れようとする。そういう時には私はあたかも自分が尻尾を生や しているかの如く想像し、尻が痒くなるのである。そして、「はい」とか「ふん」と かいう代わりに、空想の尻尾を振り、それだけで済ましておくこともある。猫の尻尾 と違って相手の人に見てもらえないのが残念であるが、それでも自分の心持では、こ れを振ると振らないでは、いくらか違う。相手の人には分からないでも、自分ではこ れを振ることによって受け答えだけはしているつもりなのである。
阅读理解次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは選 択肢A、B、C、Dからもっとも適切なめを1つ選びなさい。[二]魚類には流れに逆らって泳ぐ習性があるようであるが、ことにコイの激しい水の勢 いに向かって進む習性は著しい。古来、コイの滝のぼりとして賛美されるのは、それ 自体の勇ましさのほかに、人間の側にも同じような心理的傾向がどこか内在している ために、一種の心理的共鳴を起こして、特に感銘するのかもしれない。人間に限ららず、そしてコイに限らず、なるべく抵抗の少ないところを選んで生き ていこうとするの生物として自然の本能と考えられるのに、明らかにそれと矛盾する ようなこういう習性が見られるの面白い。生きるという以上、完全に環境に順応しき ってしまうことはあり得ず、必ずある程度は、それに逆らい、摩擦のあることを前提 とするはずだとも考えられるのである。行動、活動、生きること自体が、作用と反作 用を離れてはあり得ない。生きるものが独立した存在であろうとする限り、必ずある 程度は環境と対立の関係にあると見るべきで、もし、まったく環境に抵抗しなくなっ たら、それはすでに生きることの停止を意味する。人間も絶えず環境との間に生ずる緊張を意識している。しばしばそれがもっとも具 体的な生の意識になる。物理的な生きがいは、ほかのものに逆らった時に生ずる摩擦 によって保証されるといってよい。なるべく余分なエネルギーは消費しないようにし ようとする本能がある一方で、無為をきらい、積極的な活動をすることに喜びを覚え る別の本能があって、両者が対抗している。しかし、われわれの生活のすべての面に おいて、努力ということが尊重されるのは、すなわち環境順応の無為よりも、四囲の 自然に逆らっていくことの中に、真の人間らしさがあることを公認しているものにほ かならない。このことは、行動の次元にとどまらないで、当然、心理的な問題にも及ぶであろう。 何もしないでじっとしていることが身体的にもっとも楽であるように、外界の事象、 表現をそのまま無抵抗に受け入れ、これに反発したり、批判を加えたりしなければ、 精神はもっとも自然な状態で平安を維持できるはずである。もし、われわれが、こう いうことのみを好むようであれば、人間はみな環境の奴隸になってしまうであろう。 自然の支配はおろか、人間としての自主性さえ弱める。(ア)、幸いなことで、 そういう無抵抗の受容が十分に満足できないようにできている。むしろ与えられたも のに逆らうときの抗性に快感を覚える習性があるのである。
阅读理解次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは選 択肢A、B、C、Dからもっとも適切なめを1つ選びなさい。[三]何の違いもない二つの教室。同じように前を向いて並んだ子供たちが思い思いに自 習している。部屋の大きさや形、席の数や配列、どこをとっても何ら変わりはない。 ただ一つの違いは、第一の教室では監督が前から睨みをきかせているのに、第二の教 室では後ろにいる、いや、いるらしいとしか分からないという点にある。たったこれ だけの違いが生徒たちの行動様式に根本的差異を生じさせると言えば、大げさに響くだろうか。遊びたい盛りの子供たちにとって、第一の教室は厳しい環境のように見える。気ま まに席を立って遊ぼうにも、ちょっと顔を上げれば監督と視線を合わせることになる のだから。しかし、そんな環境でも、慣れてくればそれなりの抜け道を見つけること ができる。机の上に立てた本の陰でイタズラ書きをしたり、隣の子とおしゃべりした り、監督がちょっと目を離した隙にかなり派手なイタズラをすることだってできる。監督の目が届きにくい教室の周縁部ともなると、要領のいい悪童達がけっこうよろ しくやっているようだ。休み時間になって監督が席を外すと、そんな連中の内、とり わけいたずらな子が監督席に座って面白おかしく監督のまねをしてみせるだろう。そ れを見て笑い転げる子供たちの顔に生き生きした遊戯の歓びを見てとるには、ほんの 一瞥で十分である。第二の教室ではどうだろうか。一見したところ、ここは第一の教室よりも随分自由 な感じがする。事実、少々サボって手遊びをしたりしていても、後ろから叱声がとん でくる気配はない。どうやら、ちょっとした遊戯は黙認されているらしいのだ。だん だんいい気になり、派手なイタズラを考えるうち、しかし、子供たちはなんとなく背 後が気になり始める。もしかしたら、僕は後ろから目をつけられているんじゃないだろうか。それを確か めようにも、振り向くことだけは決してできないようになっているのだ。したがって、監督が一体今そこにいるかさえはっきり分からないのだが、その不在 の視線はやがて確実に子供たちのうちに内面化されていき、一人一人が自分自身の監 督の役割を引き受けることになるだろう。徹底した相対評価システムがそれに輪をか けるよう作用して、教室を絶えざる自主的相互競争の場に変えていく。事態をいっそう救いのないものにするのは、この場が空間的にも時間的にも均質に 広がっているというこうだ。実際、第一の教室と違って、この教室には周縁部がない。 監督線の位置が確定されないということは、それがあらゆる位置に偏在しているのと 同じことである。また、決まった休み時間があるわけでもない。ふだんから、放任し て自由にやらせているのだから、取り立てて休み時間など作る必要はないというわけ だ。ここでは、子供たちは、遊戯の自由を与えられているにもかかわらず、いや、ま さにそうであるがゆえに、その自由を思うままに行使できないという仕組みになっているのである。
阅读理解次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは選 択肢A、B、C、Dからもっとも適切なめを1っ選びなさい。[四]はい、はい、日本人についてよく言われること――日本人の「はい」を真に受けて はいけない。彼らは正面からのぶつかり合いは何としてでも避けるし、沈黙にかけて はベテランだ。だが日本人は、「はい」と答えることはある。その場合の同意にはさ まざまな色調と影がさしているわけだが。彼らが「はい」と元気よく答えるのは、服 従――ドイツ語で言うなら「ジャヴォール、ヘール、キャピタン、了解しました、大 尉殿」――を表しているだけではなく、対話者に対する敬意、あるいは愛想を意識し てのことである。というのもあらゆる欠如にもかかわらず、日本文化は肯定的でもあ り得るのだから。肯定的ではあっても形而上学的ではない。日本の「はい」は存在論的ではない。存 在としての意思、偉大なる叫び「我ここに存在する!」日本人の「はい」は関係性に 基づいており、「そうです」に近い場合が多い。これは人間がかかわっている出来事 や存在に対する反応である。したがって中立的な容認や雰囲気作りの言葉へと微妙に ずれ込むことがある。ではどう区別するか。これははいか、いいえか、もしかしたら、か。日本人にはこん な表現がある。「馬鹿は言わなきゃ分からない」つまりこういうことだ。文脈こそす ベて、それに調子が合うか合わないかは関係ない。だから外国人は日本の「はい」で 苦労するのだ。返事の出しようなどのことで、すでに苦労しているのだからだが実のところ文脈がすべてというわけではない。体の言葉、目を見よ。偉大な剣士 たちがそうしたように。日本人は反対の意見を持っ場合には肩のあたりに緊張が走った り、瞳を細めたりする。顔の表情、ニヤリとした笑いが仮面の下から見えてくる。日本文化は肯定的だと言った。それはまた慣性によって支配されてもいる。という のも日本文化の保守性はいまだに根深く、墓の中の祖先たちや過去によって支配され ているからだ。つまり日本はつねこ「いいえ」とも言い続けている。敵対する相手と 対峙して思いきり、まるで吠えるように。時間にもノー、変化にもノー。それでいて 世俗的な事柄の変わりやすさは受け入れている。これはまた矛盾だ。その意味で「はい」と言える日本は『ノーと言える日本』よりも価値がある。あの 深遠なる「はい」の方が、どんなに開放的で可能性に満ちていることか。
阅读理解次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは選 択肢A、B、C、Dからもっとも適切なめを1っ選びなさい。[二]ぼくの家は数メートルの崖の上にある。崖は石垣になっていて、ゆるやかな反比例のカーブを描いている。ちょっとしたお城の石垣みたいで、たまに下から見上げると なかなか気分がよろしい。ところが気分がよいのはそこまでである。石垣の下は道路であるが、駅のある繁華街方面へは上の道を通って行くため、我が 家の人間がこの道路を利用することはめったにない。にもかかわらず、石垣の下の、 道路沿いの溝は、我が家の人間が掃除しなければならない。石垣の上の我が家の庭か ら石垣の下へものを落とすことはまずないのだが、そう決められているからしかたが ない。月に二度、妻が不平を言いながら掃除におりて行く。この溝が、いつもはなは だ汚いのである。タバコの吸殼、菓子袋、ミカンの皮はいうに及ばず、その他いろん なものが捨ててある。日本人の公衆道徳のなさを見る思いである。たいていは通りが かりに捨てるのだろうが、中にはわざわざ捨てにきたとしか思えないようなものが捨 ててあることもある。たとえば、テレビが捨てられたこともある。そんなもの、拾ってきてもどうしよう もないので、粗大ゴミ回収の日がきたら持って行こうと思いながら抛っておいたら、 四、五日してなくなっていた。妻の話によれば、「これ何や」といって五、六人が崖 下で騷いでいたそうだから、親切にもその連中が持っていってくれたのであろう。こ ちらは助かった。それにしても他人の迷惑を考えぬ道徳心のないやつが多い。いや、 もちろん、他人の迷惑を考える能力ぐらいはあるのだろうが、こういうやつはむしろ 他人の迷惑を面白がる人間なのであろう。あなた、これ捨ててきてよといって、毎朝出勤するサラリーマンの亭主にゴミの袋 をことづける女房族がいるそうだ。亭主の方は捨て場に困り、電車の網棚の上へわざ と置き忘れてくる。車掌が忘れ物と思って中をあけるとゴミだった。こういうのが最 近多いそうだが、あきれたものである。こういうのは人に隠れてするから、する本人 はしていることが公衆道徳に反することだと知ってやっているらしいことがわかる。道徳や礼儀を身につけているかいないかは、ふつう誰もがそう思っているように、 家庭とか学校の躾によるものではない、と、ぼくは思うのだ。多少表面的な効果はあ っても、それはあくまで建前的に道徳、礼儀を自慢する際の役にしか立たず、家庭で きびしい躾を受けた男が大学へ入るなりたちまち反動的に周囲の蛮カラ(粗野的)風に染 まって汚いことを平気でやりはじめることはしばしば見かけることだ。教養だって役 に立っていないと思う。道德や礼儀は学問とは別物に思えてしかたがない。
阅读理解[四] 入院し てニ、 三日は、 ま るでお祭り 騒ぎであっ た。 夜になると 十円玉をたく さ ん持っ て廊下の公衆電話から 今日一日の報告をするのである。毎日の食事の心配をし ないで暮ら すのがいかに極楽であるか。 献立がいかに老人の好みと 栄養を考えてつく ら れているか。 看護婦さ んがいかに行き 届いてやさ し いか。 テレ ビのレ ポーターにも 負けぬ生き 生き と し た報告であった。 無理をし て自分を励ま し ていると こ ろがあっ た。三日目あたり から 、 報告は急激に威勢が悪く 、 時間も 短く なっ てき た。 四日追い込みにかかっ ていた仕事に区切り をつけ、 私が一週間目に見舞っ たとき 、 母はひと ま わり も 小さ く なっ た顔で、 ベッ ドに座っ ていた。 こ の日は、遠く に住んでいる妹も ま じ えて、 姉弟四人の顔がそろっ たのだが、 つら いのは帰り 際であっ た。 私が弟の腕時計に目を走ら せ、 「ではそろそろ」 と 言おう かなと ためら っ ていると 、 一瞬早く 母が先手を打つ(抢先) のである。「さ あ、 お母さ んも 横になら なく ちや。 」目から はその電話も なく なっ た。晴れやかな声で言う と 思いき り よ く 立ち上がり 、 見舞いにも ら っ た花や果物の分配を始める。 押し 問答の末、 結局、 私たちは持っ てき た見舞いの包みより 大き い包みを持たさ れて追っ 払われるのであっ た。「見舞いの来ない患者も いるのに、 こ う やっ てぞろぞろ来ら れたんじ やお母さ んき ま り が悪いから 当分は来ないでおく れ。 」 と 演説し ながら 、 一番小さな母が四人の先頭に立っ て廊下を歩いてゆく 。 「( ア ) 」 く どいほど念を押し 、 エレ ベーターに私たちを押し 込むと 、 ドアの閉ま り 際に、 「あり がとう ございま し た。 」今ま でのぞんざいな口調と は別人のよ う に改ま っ て、 深々 と し たお辞儀をするのである。 寝巻の上に妹の手編みの肩掛けをかけて、 白く なっ た頭を下げる母の姿は、 更にも う ひと ま わり 小さ く 見えた。 私は、 「開」 のボタンを押し ても う 一度声をかけたいと いう 衝動を辛う じ て抑えた。四人の姉弟は黙っ て七階から 一階ま で降り ていっ た。 弟がこ も っ た声で、 ポツンと 言っ た。 「たま んねえ。 」 末の妹が、 「いつも こ う なのよ 。 」 と いう 。 妹は毎日世話に通い、 弟は三日に一度ずつのぞいているが、 母は必ずエレ ベーターま で送っ てき て、 こ う やっ て頭を下げる。 し かも 弟に言わせると 、 「人数によ っ て角度が違う 。 」 と いう のである。 「今日は全員そろっ てたから 一番丁寧だっ たよ 。 」 お母さ んら し いやと 私たちは大笑いし ながら 、涙ぐんでいる(含泪) お互いの顔を見ないよ う にし て駐車場へ歩いていった。
阅读理解[三] 生老病死をなぜかみな嫌がり ま す。 でき れば考えたく ない。 そこ でどう するかと いう と 、 例えば人間が生ま れるのも 特別なこ と だから 、 病院へ行っ てく れと いう のです。 そう し て、 お産は現在ほと んど病院で行われています。生老病死の最後の死ぬと こ ろですが、 こ れも 都会ではも う 90%、 いや 99%の人が病院で亡く なり ま す。 私の母は自宅で死にま し たが、 大半の人々 は病院で死にま す。 こ のよ う に死ぬ場所が病院に移っ たのはこ こ 25 年の傾向で、 急速にそう なり ま し た。生老病死の最後の死ぬと こ ろですが、 こ れも 都会ではも う 90%、 いや 99%の人が病院で亡く なり ま す。 私の母は自宅で死にま し たが、 大半の人々 は病院で死にま す。 こ のよ う に死ぬ場所が病院に移っ たのはこ こ 25 年の傾向で、 急速にそう なり ま し た。では、 自宅で亡く なるこ と と 、 病院で亡く なるこ と の違いは何か。 こ れは、我々 が普通に暮ら し ている日常の中に、 死がなく なっ てし ま っ たと いう こ となのです。 だから 、 死が特別なこ と になり ま し た。 そし て特別なこ と は特別な場所で起こ るこ と になっ たのです。そんな現代は、 よ く よ く 考えてみると 、 大変な異常事態なのです。 生老病死と いう のは、 人の本来の姿です。 こ っ ちが先で、 何千年何万年も 続いてき た間違いのないこ と なのです。 都市よ り も 文明よ り も 何よ り も 先に生老病死があり ま し た。 だから 私はこ れを「自然」 と 呼ぶのです。 人の一生は好き も 嫌いも なく 時期経過と と も に変化し ていき ま す。 それが自然の姿なのだと 私は思いま す。 なのに今は自然つま り 本来の姿であるほう が異常になっ てし ま いま し た。こ の上なく 大切な未来を大切にし ていない典型的な例をあげてみま す。 私は95 年 3 月 に大学をやめま し た。 正式には 94 年 9 月 の教授会でやめるこ と が決ま り ま し た。 教授会のあと 同僚の病院の先生が来ら れて、 「先生、 4 月 から どう なさ いま すか」 と 話さ れるのです。 「3 月 でおやめになるそう ですね」 「やめま す」 「4 月 から どう さ れるのですか」 。 こ れは、 勤めはどう するのですかと いう 質問です。 私は「私は学生の時から 大学の医学部し か行ったこ と がないので、 やめたら 自分がどんな気分になるかわかり ま せん」 と 申し 上げま し た。 「やめてから 先のこ と はやめてから 考えま す」 と 。 すると いき なり 「そんなこ と で、 よ く 不安になり ま せんな」 と 言う のです。 思わず「先生も 何かの病気でいっ かお亡く なり になるはずですが、 いつ何の病気でお亡く なり になるか教えてく ださ い J と 言い返し てし ま いま し た。 「そんなこ と 、 わかるわけないでし よ う 」 と 言う から 、 「それでよ く 不安になり ま せんな」 と 申し 上げま し た。こ こ ではっ き り わかるこ と があり ま す。 特に大学のお医者さ んです。 大学病院では患者さ んがよ く 亡く なるので、 人が死ぬと いう こ と が、 自分の仕事の中にちゃ んと 入っ ていま す。 と こ ろがそう いう お医者さ んが、 自分が死ぬという こ と に現実感を持っ ていない。 自分が病気になっ て死ぬこ と よ り は、 勤めをやめたり やめなかっ たり する、 そのこ と のほう がよ ほど重要なこ と だと思っ ているのです。
阅读理解次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40 の問いに答えなさい。答えは選 択肢A、B、C、Dからもっとも適切なめを1っ選びなさい。[二]罰当番の井上権太に手伝って、耕作は手早く箒を使っている。床を掃きながら、耕作はかなり不安になっていた。いつ先生が現れるかわからない。手伝っているのを見つけられたら、何と言って叱られるだろう。先生は権太に一人でやれと言ったのだ。机を並べたり黒板を拭いたりして掃除を終わった。二人は急いで学校を出た。校庭 を横切る時、職員室に先生たちがたくさんいるのが見えた。耕作は走り出した。走っ て校門を出ると、追いついた権太は、「耕ちゃん、どうして走った?」「のろのろ歩いていて、先生に見つかったら、手伝ったことが分かるだろう?」「うん」二人は急ぎ足で歩いて行く。「分かったら叱られるからな」権太は黙っていた。二人の下駄の音が、仲良く響く。歩調が合っている。「耕ちゃん、お前そんなに叱られるのいやか」「そりゃあいやださ。権ちゃんは平気か、毎日叱られて」「平気っていうことはないけどさ。だけどねぇ、家の父ちゃんは、叱られるからす るとか、叱られないからしないというのは、ダメだって、いつも言うからねえ」「……ふうん。だって、誰でもみんな、叱られるからしたり、しなかったりするん じゃないのか」耕作には権太の言うことが、よく分からない。「あんなあ耕ちゃん。父ちゃんが言ってるよ。叱られても、叱られなくても、やら なきゃならんことはやるもんだって」「叱られても、叱られなくても……うん、そうか、分かった」権太の言葉を納得したとたん、耕作はがんと頬を殴られた思いがした。耕作は小さ い時から、いつも人に褒められてきた。「耕作は利口もんだ」「耕ちゃんを見れ、行儀 がいいこと」いつもそう言われ続けてきた。字も絵も朗読も作文も、褒められた。い つの間にか耕作の心の中には、より褒められたい思いが渦巻くようになった。褒めら れたいと思うことは、また叱られまいとすることでもあり、誰にも指をさされまいと することでもあった。叱られるということは、いつも褒められている耕作には、耐え 難い恥ずかしさであった。それが今、権太に言われて、はじめて自分のどこかが間違っていることに気がついたのだった。「したら権ちゃん、先生に叱られても、平気なんだね」「そうじゃない。泣いたことだってあるけどさ。だけど先生に叱られるからと言っ て、病気の母ちゃんの手伝いをしないで学校に走って来たりはしないよ」権太は学校に遅れるより、病気の母親を労わらないほうが、悪いことだとはっきり 確信しているのだ。「そうだなあ、権ちゃん。権ちゃんの言うとおりだなあ」耕作は素直に言った。(叱られても、いいことはするもんなんだ。)そう思うと、耕作は改めて「叱られたっていい」と言った。
作文题1
作文题1
作文题1
作文题1
单选题次の文章を読んで、1~ 20 の問いに答えなさい。答えは選択肢 [A][B][C][D]からもっとも適切なものを1つ選びなさい。「中学生らしく」とか、「高校生らしく」とか、よく言う。ぼくは、この言葉(1)嫌いだ。そんなことを言っていると、男は男らしく、 女は女らしくなって、はては日本人は日本人らしく、なんてことを言い出すのじゃな いかと思う。ナントカらしさというのは、(2)人それぞれに思い入れがありながら、なに かのタイプを(3)、人間をその型に嵌め込もうとするところがある。それが、 どうしてナントカらしいのか、といわれたら困るだろう。ぼくだって、大学教授らし くしろなんて言われたら、どうしていいか、わからない。もっとも、「中学生らしくないように」とか「高校生らしくないように」とか、そ うふるまおうとするのも、同じくらいあほらしい。型から抜けようとして、別の型に はまりかねない。(4)、自分らしくあるのが、最上だろう。なにをするにしても、ああ、あの人 らしいことをするといわれ、あの人らしい考え方だと思われるのがよい。(5)、 なにかの型なんか必要ない。もっとも、人間がそうなるのは、一生かかるとも言える。ほかの誰でもない、自分 の生き方を作っ(6)ことが、その人の一生のようなものだ。それでも、若者は若者なりに、「若者らしく」ある以前に、その人らしさがあって よいと思う。「中学生」であったり、「高校生」であったりする以前に、(7) 人間であり、それも、ほかの誰でもない、自分という人間なのだから。ナントカらしさなどと言わずに、たとえば、やさしさを(8)ことはできる。 それは「女らしさ」から来たりはしない。きみが男の子なら男の子なりに、そして、 女の子なら女の子なりに、やさしさを持てばよい。その場合に、男ならこんな具合に、 女ならあんな具合にと、(9)わけではない。それぞれに、自分にあったやさし さなり、自分としての魅力なりを持てばよいのだ。ところが、世間というものは、中学生が「中学生らしい」型にあると、安心するようなところがある。もっとも、その「中学生らしさ」というのは、(10)勝手に 動くもので、何が「中学生らしさ」のかと聞かれたら、誰だって困るだろう。ただし、 その曖昧なのが管理する側から便利なところが、もっとも困ることである。さらに、この「らしさ」というのが、どうも受け入れられてしまうのだ。先日テレ ビで、制服は必要かどうかという討論を見ていたら、なんと制服(11)反対する 人までが、「中学生らしく」ありさえすれば、制服でなくてもよい、と主張していた。ぼくは「中学生」であるとか、「高校生」であるとかいうのは、その人の人間性 (12)、副次的なことと思う。学生とか、教師とか、サラリーマンとかその人が 社会的に存在している身分で、あり方を決めようとしすぎると思うのだ。江戸時代な ら、武士は武士らしく、町人は町人らしくしてないと、ひどい目にあったものだが、 今はそんな時代ではないはずだ。(1)~(12)に入れるのにもっとも適切なものはどれか
单选题次の文章を読んで、 1〜20 の問いに答えなさ い。 答えは選択肢 A. B. C. D. から 最も 適切なも のを 1 つ選びなさ い。私たち人間は、 誰ひと り と し て幸福になり たい、 幸福であり たい、 と いう 願いをいだかない人はないであろう 。 おれは幸福(A1) ほし く ないと いう 人は、 すでに生き るこ と を投げてし ま っ ている場合が多いのである。 (A2) 人間が幸福になると いう こ と は、 どう いう こ と なのであろう か。病気で(A3) 人にと っ ては、 一日も 早く 健康になるこ と が、 幸福になるこ とかも し れない。 家がなく て困っ ている人にと っ ては、 早く 自分の住宅ができるこ と が、 幸福なのかも し れない。 幸福と は、 そう し た具体的な生活の問題に結びついている事柄なのであっ て、 そう いう こ と を外にし て、 (A4) 立派な幸福論が書かれても 、 それはま っ たく 抽象的な理論と いう こ と になるかもし れない。し かし 、 幸福と いう こ と (A5) 、 ひと り ひと り の生活の、 相対的な事柄でさえないのだと し たら 、 「幸福への道」 と いう よ う な文章を書く こ と 自体が、ま っ たく 無意味になっ てし ま うであろう 。 私が幸福だと 思っ ているこ と が、(A6) 他人にと っ てはそれほど切実な幸福を意味し ないかも し れないから である。し かし ま た私は、 幸福と いう も のを、 そう いう ふう に私たち(A7) が、 ばらばら に追求するこ と のなかにこ そ、 実は、 私たちの不幸があるのではないかと 考える。 例えば、 病気と いう 一つの事柄について考えてみても 、 実際私たちは、 病気になっ たら 、 生活が真っ 暗になっ てし ま う 。 だから 、 いつも 病気になっ たと き の不幸を気にし ながら、 毎日を不安の中(A8) 過ごさ れなければなら ない。 自分以外には、 自分を保証し て(A9) も のがないから である。そこ に私は問題があるのだと 思う 。私たちは、 自分の幸福や不幸を、 自分だけで考えたり 、 求めたり するのでなく 、 互いに他者が生き る(A10) に責任を持ち合う よ う な生活体をつく り 出し てゆく のでなければなら ないと 思う 。 私はそれを幸福の社会的条件と し て考えるのである。 人間の幸福を、 社会的連帯のなかで考え求めてゆく こ と である。 それは決し て空想でも なければ夢想でも ないn具体的に言う なら 、 社会保障の実現と 確立と いう こ と である。 すでに私たちの国でも、 国民年金の形で、 老人や生活力を失っ た母親の保障がなさ れると こ ろ(A11) たどり 着いたのであるから 、 私たちは、 それをさ ら に強力に推し 進め、 少なく と も 、学校を卒業し て働く 場所のないよ う な不幸や、 病気になっ たらたちま ち困ってし ま う よ う な不幸を、 社会連帯のなかで解決し てゆく よ う な実践をし てゆかなければなら ない。【A1】 ~【A11】 に入れるのにも っ と も 適切なも のはどれか。
完形填空次の文章を読んで、1~20 の問いに答えなさい。答えは選択肢 [A][B][C][D] から もっとも適切なものを1つ選びなさい。突然、警察官(1)「話を聞かせてください」と呼び止められたらどうするべ きか。裁判官や弁護士として、多くの刑事事件にかかわった経験からいうと、任意同 行は断ったほうが身のためだ。任意同行とは、警察などが捜査上必要な場合、被疑者 に警察署等へ任意に同行し(2)ことである。警察官は警察官職務執行法第2条(3)、停止させての質問や警察署などへの 同行を求めることができる。しかし同条3項(4)、本人の意に反して連行でき ない旨が定められている。つまり法的には逮捕されない限り、任意同行を拒否しても 問題はないのだ。特に任意同行(5)警察署に入った場合は、実質的に身柄を拘束されて、自由 を失う危険がある。裁判官時代、任意同行で警察署に連れてこられた人が、尿検査の 結果、覚醒剤(兴奋剂)の反応が出る起訴された事件があった。警察官は任意だと主張し たが、数時間にわたり取り調べを受け、トイレにも行かせてもらえず、逮捕と同じ扱 いを受けてしまう。任意と言いながら強制的に捜査をするのは違法であり、私は違法 収集証拠だとして尿検査の鑑定書の証拠申請に許可を出さなかった。しかし、これは 稀な(6)だ。裁判官の多くは警察の主張を信用し、証拠申請を認めてしまう。事件とはまったく無関係の人が、任意である(7)違法な取り調べを受け、自 白を強要されて冤罪事件へ発展する場合もある。警察署の中に一度入れば、あとは密 室。違法な取り調べがあっても、それを後で証明するのは難しい。逆に実質的に任意だったのに後から逮捕が「つくられる」こともある。痴漢事件で は、ホームで女性に呼び止められ、警察官に同行して警察署に行くと、そのまま拘留 されることが多い。拘留の前には逮捕行為が必要で、任意ならいつでも帰られる。と ころが、捜査機関は拘留の(8)、書類上「女性が現行犯逮捕して警察官に身柄 を引き渡した」ことにする。実際は逮捕行為がなかったのに、いつのまにか逮捕され たことになっているのだ。このように、警察は「任意」を拡大解釈して、(9)強制力があるかのように装い、より違法性の高い捜査を行う場合がある。違法捜査から身を守るには、明確に 逮捕されたのではない限り、任意同行は拒否したほうがいい。搜査協力するにしても、 警察署には行かず、こちらで場所と時間を指定して話すべきだ。自宅に押し掛けられ ても入れてはいけない。別件逮捕の口実を与える(10)、何もいいことはない。任意で行われる職務質問も同様。下手に応じてカバンの中を見せると、「ペンライ トは窃盗の道具に転用できる」「登山用ナイフは銃刀法違反」などと、犯罪に無理に 理屈づけて余計なトラブルを背負い込まされる。肩がぶつかっただけでも逮捕されか ねない。押し問答はやめて、「任意ならお断りします」と簡潔に告げて立ち去ったほ うがいい。(1)~(10)に入れるのにもっとも適切なものはどれか。
